とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 落語

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シン・ゴジラだとかポケモンだとかリオのオリンピックだとかスマップとかシールズの解散だとか、もうすべてが別の惑星の話にしか感じられなくて、そこには良いも悪いもない、ただぼうっとした「ああ、遠いな」という感想しか持てないという一種の無気力状態になっていて、それはいまもつづいているし、これからもしばらくはつづいていくと思う。
大学一年のときの哲学の授業の教授――人格としてはまったく好きになれなかったけど――が、「ベストセラーを読むときは最低一年は空けます」 と言っていたことがあって、この発言についてだけはいまでも正しかったんじゃないかと思っている。つまり、僕の信じている正しさ、という意味において。……などという、一見わかったふうなエクスキューズを入れるやり方にももう飽きたし、そういう「どこへ出しても一定の客観性を損なうことのない文章」を目指す必要はないし、ここはそもそもそういう場所じゃない。ただひたすらに思いついたことを書き捨てる場所なのだ、ここは。
話を戻せば、ある狂騒的な空間や瞬間やトピックがあるのなら、そこから距離を空けよ、ということを僕は18歳くらいの頃からほぼ守りつづけてきたことになる。まあそれは半分位の割合で、携帯電話なり、あるいは別の機器などの最新のテクノロジーから自然と取り残されてしまったからなのであって、そういう意味では、僕はいまでもだいたい20世紀のままでいる。
そのような遅れた人種たる僕は、世の中のことに対してなにをせずとも八割くらいは嫌悪感を抱いてしまうのだが、ただ今夏については、仕事の忙しさ・人手不足にくわえ、予想外に長引く夏風邪という体調不良も相俟って、世間との距離感もひとしおに感じられたのだった。
たかが夏風邪なので特段深刻なものでもなく、下痢・高熱に関してはそれぞれ数日でやり過ごすことができたのだが、悪意ある置き土産として喉の痛みおよび執拗な咳が一向に去らず、喘息患者の気持がわかる、となれば過言となってしまうが、それでも突発的に生じ一定時間はげしくやむことのない咳によって読書など到底することもできず、ただ息を潜め、横になって安静を図っているうちになんとなく寝てしまい、そのうち自らの咳き込みによって目を醒まし、ウサギの世話なりなんなりをして気づけばもう起きる時間になって、仕事に出かける準備をする、という日が、週となり、はや半月を過ぎようとしている。そのあいだには仕事とは無関係の「ムラの役員としての仕事」もあったし、突然の訪問客に、田舎に移住した体験談みたいなことを半分自棄、半分自省的に話したこともあった。それらは、「世間」とはまったく関係のないごくごく個人的なことである。

何年か前のテレビCMにこういうのがあった。以下はネットで拾ったものだが、だいたい記憶どおり。
「世界とつながってるってどんな感じ?」

という質問に対して外国人少年が答える。

「あの~、その質問自体が古いと思います。だって、この時代でつながっていない状態の方が少ないわけじゃないですか。
逆に世界とつながっていない頃ってどんな感じだったんですか?」
いまでもこのやりとりを読んで思い出せば腹が立ってくるのだが、この当時(6、7年前か)も、そしていまも、ほんとうに「つながっている」なんて状態のほうが少ないだろうと僕は思っている。その「つながっている」という言葉が、ただ狂騒をたのしむだけのツールという意味に限定されず、なにかの救済までをも含むというならばだ。
たとえば、テレビを持っていない人間はこのテレビCMを見ることはできなかった。日本語のわからない人は、たとえ見ていたとしても少年の言葉の意味を解することはできなかった。「いまではネットがありますので、おおよそのことは」みたいなことを簡単に口にする人間は、僕の周りに住んでいるほとんどの独居老人の実態を知らない。いろいろなコミュニケーションが生まれてたしかに便利になった部分はあると思うが、かといって必ずそこから漏れる人間もいつづけている。厳然と。
5月末、バラク・オバマが広島を訪問してスピーチをしたことについて、手放しの賞賛があまりにも多かったことについて僕は驚き呆れていた。あのスピーチの全文には目を通したが、「死が降りてきた」というような表現から始まる文章が示すものはある種のポーズでしかなく、広島そして長崎や世界中の被爆者に対して寄り添う心があるとは到底思えなかった。彼が資料館に10分しか滞在しなかった、というスピーチ前の情報も嫌な予感を与えるには充分だった(広島に行ったこともない僕は批判する資格すらないのだが)。あのとき、「彼の自国内でのポジションを考えればそういった表現にならざるを得ない」 という忖度があちこちで見られた。そのうえでの賞賛だった。しかしその忖度つきの賞賛は、発信者自身が冷静でクレバーであるかのように見せるため以外にはほとんど意味をなさないように思えた。そのうえ、スピーチの批判者に対して「これ以上なにを望むのか」という批判をする輩たちもネット上では散見された。
あのときラジオで聴いた「広島の人たち」の声の多くにあったのは、「いろいろと不満はあるけれど、これがスタートラインなのだ」という諦念のかなりこめられた小さな希望だった。しかし広島の人たちの対応を率直な100%の歓迎と読み間違える向きは多かったし、いまもそれはつづいていると思う。
あの原爆ドームを前にして米国初の黒人大統領がスピーチしている絵に、まずやられてしまった人が多かったのだと思う。自分はいま歴史的な瞬間に立ち会っているのだ、と勝手に解釈してしまいその目撃したことについて狂騒しただけだったのではないか。そこに被害者たちに対する想像は幾許かなりともあったのだろうか。僕自身は、彼の広島訪問がまったく無意味だったとは思っていないが、それでも騒がれたほどの意味が生じるには、彼の大統領退任後の活動如何によると思っている(ラジオ番組内でもそう結論づけられていた)。

そんなことがずっとつづいているような気がしている。大きな話題があれば、その善たる部分やあるいは善に見える部分に、やたらと強調されたスポットライトを浴びせ、騒ぎ持て囃す。たしかロンドン五輪の直後のアンケートで、それまでずっと低調だった東京での五輪開催の支持率が不支持率を上回ったような印象を持っている。それで例の「お・も・て・な・し」でいつのまにか盛り上がっていて、エンブレムや新国立競技場の問題で再びブーイングが起きて、しかし今回のリオ五輪でまたまた東京五輪への盛り上がりが助長されるのかと思うと、いちばんあてにならないのは誰かという根源の問題に話は落ち着いてくる。まあ2020年についていえば、控え目に言ってパラリンピックだけ開催してオリンピックは他国に譲ればいいのではないだろうか、というのが僕の考え。パラの選手の家族たちが気軽に応援しに行ける、というのは決して悪いことではないと思えるから。
スポットライトが大きければ、当然その影も大きくなる。明るくたのしい話題の裏で、暗く悲しい話題が忘れ去られ、その当事者たちは意識の外に追いやられていく。間違っても僕がその当事者たちのひとりだとは言わないが、さまざまなことから遠くはなれてしまっために見えてくるものもある、ということをようやく最近になって知ることとなった。

あと、またしばらく書けない期間がつづくからついでに書いておくけれど、ポパイの最新号だかで「落語とジャズ」の特集があって、それをコンビニで立ち読みしていたら「文化人」っぽい人たちの挙げる好きな落語家のほとんどが談志と志ん生なのに対して、ほんとうに心の底から「どうして?」と訊きたいと感じた、ということをここに強く記しておく。
みうらじゅんが米朝と仁鶴、でんぱ組の夢眠ねむが文珍をそれぞれ挙げていて、あとは権太楼や喬太郎を挙げていた人がいたと思うのだけれど、ここらへんの意見はきちんと自分の意見なんだろうな、というのはよくわかる(権太楼嫌いだけど)。でも談志と志ん生ってかなり聴く人を選ぶと思うんだけどなあ。
たとえば志ん生なら、なぜ志ん朝じゃありえないのか。志ん朝なら、口跡は素晴らしいし、登場人物を間違えるなんてことはありえないし(志ん生はある)、噺がきちんと整理されているし、 かなり多くの人に愛される噺家だと思うのだが、なぜかその親父の名前を、しかも比較的若い人たちが挙げるということにほんとうに不思議を感じる。以前からずっと書いているが、小林信彦ですら、昭和36年にぶっ倒れてからの志ん生とそれ以前とでは全然違う、という古い落語ファンの話を聞いて辟易した、ということを書いていたのに。ただ僕自身は、ずっと聴きつづけていると愛すべき部分を見いだせるようになったので、志ん生がほんとうに好きという意見をまったく否定するという立場ではない。でも、相当マニアだと思うんだよなあ。
で、談志。若いころの音源はほんとうに素晴らしいと思うけれど、晩年の高座なんかはマクラが長ぇしアクが強いし、肝腎の噺は打率が低かったりするし(本人も冗談交じりにそんなことを言っていたりするし)で、これを選ぶっていうのはこれまた相当なマニアって感じがするんだけど、みなさんほんとうにそうなんですかねえ、ってのが正直な感想。率直に言って、「とりあえず談志か志ん生って言っとけばカッコいいでしょ」みたいな感じがぷんぷんしたのだった。 

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狭量である。河や海を挟んで陸と陸を結ぶほうじゃなくて、料簡が狭いほうである。
であるからして、なんたらとかいう落語のアニメが始まったなどと聞いて、すぐに首筋と顳顬(むずかしー)に青筋が走った。
ふーん、と知らないふりをしてのんべんだらりと過ごしていたが、このあいだふと車で四十分ほど走らせて最寄りの書店に行ったとき、第一巻の最初の部分だけちらりと読めるようになっている小冊子があったので、ふーん、となにげないふりをしてそれをぱらぱらとやってみたのだが。

けっ。なんじゃい、こりゃ。落語をつかったコスプレだと思った。しかも、女性作家によるものだからか、みんな線の細い色男風な人に見えてしまって、別の料簡で売り込もうとしているんじゃないかとも思った。そういう意味でもコスプレじゃん。
はじめの部分だけだったので、そりゃ読み方としては邪道だし、読んだとも言えない。だからタイトルは書かない。けれども、こういうのって、なんというかバカにしてるんじゃない?
そもそも、古谷三敏のマンガ『寄席芸人伝』も大嫌いなんだよなあ。あの人って、『レモンハート』とかもそうだけど、けっきょくカタログ的エピソードの列挙ばかりで情の部分が薄っぺらいんだよな。

かつて一度だけちらっと観た落語のドラマで、「通な客」役らしき尾美としのりが客席にのこのことやってきて、噺家のマクラを聴いて「お、明烏だね」みたいに言うシーンだったんだけど、この数十秒だけでもう観るのをやめた。
八代目の文楽はいつも判を押したように同じ芸をする人でマクラもたいてい一緒。「弁慶と小町はバカだ、なァ嬶」っていう始まりだと、100パーセント『明烏』なわけで、ちょっとした落語の本とか読むと、文楽の最後の高座とかのエピソードとともに紹介されているわけよ、そんなもん。
尾美の話に戻って、もしかしたらマクラじゃなくて本編に入っていたのかもしれないけど、それでも客席で題名を口に出すなんて、なんて野暮ったいんだろ、と思った。野暮ったさの表現としてやっているのなら我が意を得たりだけど、どうも粋だと思わせる演出のようだった。そこしか観てないから事実はわからんけどね。

かように、落語ってエピソードがたっぷりあるから、物語にしやすい部分がものすごくあって、それだからこそその部分をつかわないでストーリーをつくれよって思うんだけど、えてしてオマージュとかパロディとかいう隠れ蓑をまとって、『芝浜』の現代版、とか、『らくだ』の翻案、みたいなことをしちまうんだよ。そういうの、おじさん飽き飽きしてるの。いま冬だけど。

それと。
このあいだ、志ん生を面白いと書いている同年輩くらいの人がいて、本気で「どこが?」と訊きたくなった。
これは、意地悪ではなくて、本気の本気。どこを面白いと思うのか、がほんと気になる。僕も二十数枚音源を聴いているけれど、ひどいのになると登場人物名が途中でめちゃくちゃになったり、武士が途中で町人言葉をしゃべりだしたりして、息子の馬生や志ん朝なんかと較べてしまうとひどいなっていうのが率直な感想。
けれども、何度も何度も聴いているうちに、『富久』の久七(だっけ?)が火事の中を走っていくところとか、『火焔太鼓』でおやっさんが急いで家に帰ってきてかみさんにえばるところとか、かみさんが腰抜かすところとか、『うなぎの幇間』でのたいこもちのぼやきとか、そういう部分に愛嬌を感じるようになったのだけれど、けれども、小林信彦がどこかで書いていた、「そもそも昭和36年の巨人の祝勝会で倒れてからの志ん生はだめだという人がいる」なんていう証言は、ぞぞぞっとする内容だよな。いやあ、志ん生は名人だよなんて36年以前の音源に当たるか、あるいは実物を観ていたって人じゃないと軽々と口には出せないよな、ってのが僕のなかにはあって、だからこそ、志ん生を面白いと言うには、なかなか勇気が要ると思っているんだけど、あらためてここで質問しますが、「それじゃあ、あなたの志ん生の面白いっていう部分を教えてください」

あと、このあいだ、初心者なんだけど談志が面白いと書いている人がいて、本気で「どこが?」と訊きたくなった……以下同。
いや、いちゃもんつけじゃなくて、ほんとうに訊きたいわけだ。たのしみ方っていろいろあるもんだから、そのたのしみ方をおれにも教えてくれよ、と。談志のあのイヤーな(とくに晩年の)マクラをたっぷり聞かされたあとの高座を、初心者がどうたのしめたのか、と。「9.11のテロで飛行機がビルに飛び込んで行ったのを見て、あれほどスカッとしたことは久しくなかったねえ」なんていうマクラもあったなあ。
そういう人物の、たとえば『芝浜』みたいな人情噺を演っていてもちっとも心に響かないし、もともと談志の熱演気味の人情噺は――しかも無粋なエクスキューズを途中で入れるから二重に――つまらなく感じてしまうんだけど。いや、『らくだ』とか『五貫裁き』みたいな噺はらしくて面白いんだけどね。

まあ、コスプレとかじゃなくて、落語の新たな面白さ・たのしみ方を教えてもらいたいな、と本当に思っているところであります。
あと、どうでもいいけどナルトを忍者マンガだと思っている人、せめて白土三平のなにかを読もうよ。読んだらナルトがコスプレだってわかるよ。 

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小佐田定雄『枝雀らくごの舞台裏』にこういうことが書いてあった。
ストーリーには直接関係ない会話で、噺の世界をより克明にすることを枝雀さんは「生活する」と称して大切にしていた。
(25p)
これ、非常によく共感できる部分であり、枝雀落語の要の部分だとも思う。
『八五郎坊主』という噺について枝雀自身の言葉を引用する。
(前略)
ある時、私が神戸の松竹座の楽屋にいてましたら文蝶師が遊びに来はって、「小米はん、ひとつ噺教えてあげまひょ」言うて演りはじめはったんがこのネタでした。私は「あァ、あの噺かいな」てな調子で、失礼ながらええかげんに聞かせてもろてたんです。
と、お寺の描写のところで、「左右には鶏頭の花が真っ赤に咲いております。お寺の表にはあんまり人のおりませんもんで」という一節があったんです。「これや!」と思いましたね。この一節がお寺のリアリティを出したんです。

『桂枝雀のらくご案内』(ちくま文庫)208p
小米とは枝雀の前名。
ここで枝雀の言うリアリティとは、小佐田定雄の本で言うところの「生活」と一緒なのだろう。生活感という言葉で限定するのではなく、もっと広義に、人物や世界そのものが呼吸している様子がわかる部分とでも言おうか、そこに枝雀はよろこびやたのしみを見出し、そして聴衆もそこに耳を澄ます。

創作落語というものに対して以前ほど拒否反応を持たなくなった僕であるが、それでも多くの創作ものについてどうにも物足りない部分を感じるのは、おそらく上記の「生活」の部分が非常に少ないせいだと思う。
例に出してはかわいそうなのだが、桂三枝(現六代目文枝)の創作落語はどうも面白くないと思っていたところ、半年ほど前に他の落語家が三枝落語を演じているのを観たとき、くすぐりとくすぐりの連続のせいで、かえって薄っぺらいものになってしまっているのを痛感した。
「M-1」的な漫才に優れている点として、落語では「落語世界の呼吸を感じられること」が挙げられるのだが、創作ものではそれが失われている場合が非常に多い。ギャグの多さやスピード感だけの勝負では、漫才に太刀打ちすることはなかなか難しいだろう。

これは、ブログの文章でも同じことが言えるのではないか、と思った。
「○○ですべきたった10の大切なこと」というような記事を書くような人は、おそらく「すべきであろう10個の大切なこと」しか書かないのだろうと思う。そういうものは、実はその人でなくても書けることである場合が多く、そこにその人の呼吸というものが感じられることはほぼないだろう。
繰り返すが、「生活感」でなくてよいのだ。ただ、その人がどのように呼吸し、どのように生きているかわかる「よすが」のようなものが測れない文章――具体的に書かれていなくてもよいのだ――は、総じて人を退屈にさせる。退屈しない人は、退屈する文章しか読んだことがないのだろう。

また、正論だけを声高に主張している文章も同じだ。
そこで言われていることがいくら正しかろうと、(少なくとも僕は)どうにも心が動かされないし、その人のことを好きにはなれない。
誰も傷つけないよう細心の注意を払い中庸を志した文章とて、書いた当人が思っているほど魅力があるわけではない。 人は極論に惹かれるということではなく(たしかにその点は否めないが)、体験したわけでもない誰でも思いつくような文章は、実際に誰でも思いつくわけであって、当人が思っているほど特に目新しくはないのだ。

枝雀が大切にした「ストーリーには直接関係ない会話」をノイズと考える人もなかにはいるのかもしれない。
ブログでの「他人にとってはさして意味を持たない(ように見える)文章」をノイズと考える人も少なくはないだろう。
けれども、あらすじだけの落語、要点だけを箇条書きしたブログに、はたしてどれだけの面白さがあるか。
そういうものだけを「効率的」につまみ食いしていく人たちは、おそらく面白さには永遠に到達できまい。余剰部分にこそ価値はあるのだ、きっと。

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談志が死んだ

談志が死んだ


ちょっと調べることがあって、読んだ。新潮社装幀室の装幀が素晴らしい。談志の愛飲したJ&Bをもじっているイラストとのバランスが洒落ている。で、これが小説かというと、ちょっとそういう気はしない。ただ、なかに書かれていたこと(後述)を鑑みればフィクションの部分もあると考えるのは当然で、おそらく誇張されてはいるのであろう談志のエピソードは面白く読める。
しかし本書のいちばん重要なことは、談志が老い、おそらくは老人性鬱病を患っていたのではないか、という点である。あるとき、談春の書いた『赤めだか』について作者は書評で称賛するのだが、それについて談志は激怒し、電話で作者談四楼に破門を言い渡す。
「詫びに来たって許さねえ」とは言われつつも彼は、談志が出演しているであろうテレビ局に訪れ、そこで「直角に腰を折っ」て謝った。そのシーンを読んでいたら、その場にいたわけでもないのに顔が強張ってしまった。
談四楼はこのとき入門してから四十年近くで、年は還暦間近。その人間が膝を震わせてテレビ局に急行し、理由もわからず、しかし言い訳もせずに腰を曲げて謝るのである。自尊心もなにもあったもんじゃない。談志の怒った理由というのが実はハッキリしない。談春の『赤めだか』に書いた内容に立腹しているらしいのだが、その説明を本人から聴いてもちっとも納得できない。『赤めだか』のなかで談春が、談志に爪楊枝を盗ませられたという記述があるのだが、そこに怒っているのである。「オレが爪楊枝なんか盗ませたことがあるか」
「あるか」どころではない。談四楼はそれ以上のものを盗ませられている。だから楊枝くらいなんだ、という思いがある。談四楼は談春を呼び出し、尋ねる。
「作り込むことがいけないと言ってるんだろうか」
「そりゃ皆さんやることでしょ。ホントのことばっかりじゃ面白くも何ともありませんから。邪魔になる人が出てきたり、どうしてもそこにいてもらいたい人がいなかったり。だから本ではいるはずの人がいなかったり、いないはずの人がいるという……」
それが、談春の執筆の際のモットーだった。落語家の書くものが100%事実である必要はなく、面白いためにはちょこちょことフィクションを混ぜてもよいのだ、と。
実際、『赤めだか』はよくできていて、本当に面白い。談春の弟弟子の志らくは『赤めだか』には事実と違うところがある、と自分の著作で指摘していたが、そういう志らくの作品は、(本当に事実だけで構成されているのかもしれないが)あまり面白くはなかった。
談春の考えに同意する談四楼もつまり、著作には虚実を綯い交ぜにして面白いものにするという考えが根底に流れているはずで、上で談志のエピソードには誇張しているものもあるだろう、と書いたゆえんである。
本書は、時系列が入り乱れて書かれてあるのが面白い。物書きとしての冷静な視線は、師匠の談志も射抜いている。と同時に、師弟の愛憎(愛情という単純なものではない)が談四楼の判断を鈍らす。
若い折り、彼は師匠に人格否定を受ける。師匠の完全コピーを目指した芸風を、その師匠自身に否定された、と彼は思った。そのことに深いショックを受け、慌てて違う芸風を目指すようになる。
詳しくは書かれてはいないが、おそらくこれは一種のPTSDになっているだろうと思われる。否定されたのはブラジル公演での高座の裾でのことなのだが、そのときはなんとも思わず、少し時が経ち、それを思い出した機内で突然ぎゃっと声が出た、と書いてあった。そのパニックを鎮めるために酒を大量に飲んだ、とも。
また別の箇所では、上の談志に破門を宣告されたときの怒声がときおり思い出されるということが書かれてあり、自身で「フラッシュバック」であろうと分析している。
破門宣告はしばらくして解除されるのであるが、そんなことでは当然、傷は癒えない。談志自身は若いころから相当わがままで変人だった、ということはあったにせよ、晩年の周囲にまったく理解できないような言動は、おそらく病によるものだろう、という談四楼の推察は、他の弟子たちの証言もふまえて、当たっていると思う。
暴力的・高圧的・独善的な性向を、理性で抑制することができなくなり、周囲を不必要に傷つけてしまう。一般人なら、ごく親しい家族以外は遠ざかっていくはずだが、談志の周りには濃密な関係が強制される弟子たちがいた。
ここで思い出すのは、三遊亭圓生。
このあいだ読んだ弟子の円丈の『御乱心』にも、圓生の人を人とも思わぬ独裁者のような言動が書かれてあった。
落語協会を抜け、独立を図る師匠の圓生に「自分の好きな行動を採れ」と言われたので、協会に戻りたい旨を告げる円丈。圓生は東京中の寄席から締め出しをくらってしまったのだが、円丈は寄席に出たかったのである。
ところが、その発言に激昂する圓生とお内儀さん。罵倒に次ぐ罵倒で、円丈は人格を頭っから否定される。喉が渇き、立ち上がり、台所に行って水を飲みに行く。その際にも後ろから「どこへ行くんだ!」「この恩知らず!」と罵倒はつづいている。円丈はこみ上げてくるなにかを必死に抑え、また師匠の前に戻り、それからようやく、「師匠についていきます」と告げる。
圓生は態度を急変させて懐柔を図る。
表面上は、師弟の関係は戻ったように見えた。しかし円丈は、あのときを境に、尊敬も愛情もすべてなくなってしまった、というようなことを書いていた。『御乱心』を読んだときには、圓生のやり方は、突発的ではあるがいわゆる「洗脳」のそれと同じだと感じた。
逃げ出し難い状況に相手を追い込み、そこでこれでもかという暴力行為を浴びせ、相手の心をずたずたにしてしまうというやり方。うまくいけば相手の心を完全に支配下に置くことができる。
けれども談志の件を知ってからは、もしかしたら圓生も精神の病に罹っていたのかもしれない、と考え直した。いづれにしても、相手側は深い傷を負うのだが。で、圓生と談志に限っていえば、老人性の鬱状態の前にやはり嗜虐的性向があったのではないか、とも思った。そしてさらに鬱がそれに拍車を掛けるはめになった、と。
というのは、僕自身がこういう残酷なところを持っているからで、さすがに追い詰めてなんたらかんたらというのはないが、ある日ばっさりと友好関係を断ってしまうところがある。
怒りを覚えた経緯には僕なりの筋道立った理窟があるのだが、その説明はせずに、相手が男であろうが女であろうが、突然交流を閉じてしまう。相手がそれに腹を立てても、あるいは弁明をしても、一向に気にせず自分の殻に閉じこもってしまう。そういうことを繰り返してきた気がする。
だから、談志が談四楼を徹底的に蚊帳の外に追い遣ってしまう部分を読んで、まるで自分の醜い姿を見せつけられているような気になり、顔が強張ってしまったのだ。
人の恨みは確実に残る。
談四楼は、談志の病に気づいたために、親父とも呼ぶべき師匠を徹底的に恨まずに済んだ(それでも恨みがないわけではないのはわかる)。
一方、円丈は圓生をついに許すことができなかった。落語家としては最後まで尊敬していたようだが、人間としては許せなかったのである。談四楼のまだ若かった頃、その兄弟子が高座に上がるのをその袖で、談志・色川武大と一緒に見ていた。そこで談志がひとこと。
「先生、聞かなくていいですよ、こいつの高座。これは私の失敗作ですから」
やはり談志は、若いときからこういうことを言う人間だったのだ。がんらい他人に厳しい人間だったが、特に弟子には人間として扱わなかった部分がたしかにある。目上の他人に対する照れだったり、身内の謙遜によって防御線を張るという心理も若干あったのかもしれないが、それにしても「失敗作」は言い過ぎである。
そうすると、色川武大は目を見開いて言った。
「談志クン、お弟子のことをそんなふうに言うもんじゃないよ。いいお弟子さんじゃないか。楽屋で見ていてもわかる。キミへの敬意があふれてるよ」
考えるに、もとから不遜だった談志がその傾向を強めていったのは、このように彼を注意する人間が次々といなくなっていったからではないか。
それは年取ってからの談志自身がなにかの噺のマクラでこぼしていた。そういうのは寂しいと。
それをとって、「家元は孤独だったんだ」と助け舟を出すのは少し違うと思う。それは単なる偶像化にすぎない。ただ孤独であったのではなく、彼は依然として強い力を持っていたのだ。このあいだ読み終えた北方謙三『史記』の武帝劉徹が思い出される。
絶対権力を持ち、特に後半は多くの側近たちを死に追いやった武帝は、小説内でたしかに孤独だった。しかし、どう読んでもそれを可哀想だとは思えなかった。孤独を抱えたまま死んでいけ、と感じるだけだった。
談志は、談志のまま死ぬことができたのではないか、と思っている。横暴で信じられないほど無神経な一方、無類の落語好きで落語狂いのまま立川談志という落語家を完成させたのではないか。
僕は談志のことをほとんど知らないので、それ以上はなにも言えない。より長いつきあいのファンにはそれなりの感じ方があるだろうし、それを否定しはしない。ただ僕は、僕自身の醜悪で下劣な部分を大いに感じたので、この本にはたいへんショックを受けた。冒頭に書いたように多少の虚実混淆があろうと、一読の価値はじゅうぶんにある。

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御乱心―落語協会分裂と、円生とその弟子たち

御乱心―落語協会分裂と、円生とその弟子たち

絶版本。ときどきオークションに出るが、たいてい定価(九百八十円)より高い。先日、安くはなかったが意を決して購入した。

簡単にあらすじを書けば、三遊亭圓生の弟子、円丈が書いた1978年の落語協会分裂騒動の内幕。
これを読むと、先代の圓楽は嫌なやつだということがわかる。
あっという間に読めてしまったが、読み終えたあとにすぐ出てくる感想が、圓楽は嫌なやつだということ。それからディテールを思い出そうとするのだが、圓楽が嫌なやつだということ以外になにがあったっけなあ、と少し苦労する。圓楽が嫌なやつだということはまず大前提としてあって、それから圓楽が嫌なやつだというエピソードがあって、そしてエンディングで、やっぱり圓楽が嫌なやつだということが忘れがたい印象として残っているのを確認できる。本を閉じて、ため息ひとつとともに、「あー圓楽は嫌なやつだなあ」というつぶやきが口をついて出る。これは、そういう本である。

噺家なんていうのは、わりとのんびりしているようなイメージを持ってしまいがちだが、どうもそうではないらしい。少なくとも、中には確実にそうでない人物がいる、ということがわかる。この本では、円丈が、兄弟子(先代圓楽)と師匠(圓生)とを告発している。
文章からは、弟弟子を人と思わない扱いをして、なおかつ師匠をうまく言いくるめ自分のいいようにしようとする圓楽の人物像が浮かんでくる。テレビ「笑点」ではその弟子が「腹黒」を自称していたが、なんてことない、その師匠自身が大腹黒であったわけである。
といって、圓生が完全な善意の第三者かというとそういうわけでもなく、彼自身にはきちんと筋の通った落語哲学があったのだろうが、どうにも薄情なところがあったことは否めないようだ。二十年のつきあいのあった弟子たち(さん生や好生)を電話一本で破門にしたりするところや、一緒に協会を飛び出さない素振りを見せた円丈に対して、夫人とともに「恩知らず!」と恫喝する場面などからは、やはり人格に欠けたところを持っていると感じられた。特に後者は、ぞっとするような非常に印象深い場面である。

一点だけ、興味ぶかい記述があった。絶対に圓生を許すことができないとする円丈だが、落語協会を出てから一年三ヶ月ほどの圓生の芸は、日に日に輝きを増していったのだという。
僕が圓生の音源を初めて聴いたのは、国立演芸場こけら落し公演の「日本の寄席芸 東西芸人揃いぶみ」における『鹿政談』なのだが、圓生と知らず聴いて、「うわ! ものすごくいい噺家だな、これ!」と感動した。そこで慌ててiTunesの中のデータを見ると「六代目 三遊亭圓生」となっており、なるほどねえ、こりゃあ名人だと感心した。
もっと感心したのは、その口演の日づけ(1979年3月25日)を見て、それから圓生の年齢を調べてみたら、死ぬ半年前の音源だということがわかったとき。御年七十八! その年齢にしてまったく淀みのない口調に完全に脱帽した。こりゃイチから聴かなければな、とツタヤにあったCD二十数枚を聴き、やはり感服することになるが、それはまた別の話。
圓生の最期のときまで十五年間弟子として傍にいた円丈は、協会を飛び出したあと、苦境をバネに圓生の芸が磨かれていったのではないかと推測しているが、そういうこともあるかもしれない。しかし、落語界でも非常に稀なことだったのではないか。

本書はドキュメンタリーとして読むことができるが、しかし僕は円丈自身に対しても好きになることができなかった。実は、半年ほど前に『落語家の通信簿』を読んだときにも、やはり円丈のことを好きにはなれないと感じた。ちょうど、志らくの著作を読んで好きになれないと感じたことと似ている。「我」を強く感じてしまうからだろうか。あるいは、その強調された「我」が好みではないからだろうか。
なんとなくの話だが、誠実さが感じられないのだ。だからといってこの本が嘘だとは思わない。どころか、ほとんど真実だろうと思う。しかし、なんとなく彼自身がいい人間に描かれすぎている気がする。きっとエゴイストでナルシストなんだろうと思う。誠実ではない、と僕は思ったが、きっと円丈には円丈なりの誠実さがあって、そういう意味の誠実さによって書かれた本なのかもしれない、と思うことにした。


ところで、上記の「口演」とタイプするとき、一瞬、「公演」と「口演」のいづれかに迷い、weblio辞書を引いたら、「口演」の項に、

浪曲・講談などを)口で演ずること。また,その芸。 「円生の-を聞く」

とあって、その用例にほくそ笑んだ。

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談志落語の音源を聴いていると、ときどき、「わかっていない客」の存在を感じることがある。
やたらと笑い声を上げたり、あるいは、やたらと拍手をしたり。
おそらく、の話だが、談志自身も「けっ、わかってねェ客がいやがンなァ」と思っていることだろう。
それではなぜ、僕は「わかっている」のか。それは、「おれは談志の落語のことを少しは理解できているつもりだ」と談志が思わせるからだと思う。談志はよく「おれの客」という言い方をするが、それは当然「わかっている客」のことを指しており、「わかっていない客」はそこには含まれていない。そして多くの観客が、「おれ/わたしは、わかっている客だ」と思いたがる。これはもう、宗教みたいなもんだ。

一般的な噺家であれば、お客様はみなありがたいもので、笑ってくれるのであればさらにありがたいお客様です、とでも言うのだろう。けれども、談志はそうは言わない。どころか高座から「なんか今日はやけにバカ笑いが多いな、客のレベルが低いンじゃねェか?」くらいのことは言うと思う。
談志を聴き慣れていない人間なら、「なんだこのやろう!」と反撥を覚えるかもしれない。

入場料を取っている以上、観客はみな神様である、というのは建前である。その建前をどこまで信じるか、というのは実は観客ひとりひとりに委ねられていることであって、バカッ正直に「えっへん、われこそが神様である」とやったら、程度の低さが露呈する。「『程度の低さ』ってなんだよッ! こちとら金を払ってるんだッ!」とここでさらに主張をすれば、余計に野暮があらわれる。きっとこう言う人は、金(入場料)を払うことによって、自分の鑑賞眼を棚上げできるとでも思っているのだろう。感性ではなく、論理で自分の正当性を主張しようとする。だから野暮なのである。ただ、現代は野暮が大流行のようなので、侮蔑語にはなり得ないのかもしれない。

すべての人間が、手放しの称讃や注目を欲しがっているわけではない。手放しに称讃されたり注目されたりすれば誰もが喜ぶと考えがちな人間は、きっと自分がそうだから他人にもそれを当てはめようとするのだけれど、そういうものじゃない。そういうものだ、と考えてしまう自分の安直さを少しは見つめ直した方がよい。

もちろん、ここに書いたことは、落語に限った話ではない。

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立川談志についてのメモ。

僕が談志のことを、底の底では信じていると書く理由のひとつに、談志には尊敬する相手がいる、ということがある。
他人を貶すことにかけては超一流の彼も、まず手塚治虫を愛しており、あとは、三遊亭圓生桂米朝、ここらへんの芸はまず間違いなく尊敬している。あと、古今亭志ん生のことも大好きだったろうな。
現在も生きている三遊亭圓歌だが、圓歌を嫌いな理由に、講釈師の先代一龍斎貞丈を陰で呼び捨てにしていたことについて、「芸風もさることながら身分が違うのに」と激怒した、と談志はある音源に残している。
人間、凶暴な人物の穏やかな側面を見るとやけにほっとする傾向があって、談志が敬愛している人物について語るときは、覚えず「いい話」に聞えてしまうのかもしれないが、しかしそれだけではないと思う。

なにも尊敬するものを持たず、すべてのものに難癖をつける人間のことはどうしても信用ならない。それを広言するか秘め隠すかはともかく、好きなものがまったくない、ということは、なにかを嫌う資格すらないように感じる。

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今月九日、大阪能楽会館に行ってきた。

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柳家三三の独演会だった。

写真のように能の舞台でマイクなしでしゃべる。それがそもそものスタイルのはずであって、耳をそばだてて聴くというのは僕は新鮮でよかったけれど、高齢者としてはどうだったのか。能の発声と落語の発声はまた別のはずで、はたして三三の声は会場の隅にまで届いていたのだろうか。

お客さんの中には和装の方も幾人か見えた。すごく艶やかな道行(みちゆき)をまとっている方もいて、見ていて気持ちよかった。道行なんて言葉、はじめて知りましたよ。
もうひとり、客席の方で赤いきれいなセーターを着ている女性が目につくと思ったら、くまざわあかねさん(落語作家)だった。おお、と少し驚いたら、その隣にいるのはなんと夫の小佐田定雄さん(落語作家)じゃないか。まさかの生小佐田を見ることができると思わなかったので、ひとり、ふへへへと笑っていた。


さて。演目は、

  1. 一目上がり
  2. 富久
  3. 粗忽の釘

めでたい噺にまつわるマクラがいくつかあった。誰かの襲名披露などで前座が『寿限無』などを演ったりすると、「お、こいつはわかっているネ」と覚えがめでたくなり二ツ目昇進が早くなる、というフリのあと、二代目林家三平の襲名披露では、前座が『短命』を演ったのですが、と言って客席爆笑。
他にめでたいものとしては、狸・狐ものも「化ける」が「芸が化ける」に通ずるからやはりめでたい、他にもありまして……ということで『一目上がり』。これは初めて聴いた。「ひと目づつ上がっていく、という咄なのでこれもめでたいものとされます」とは三三からの説明。
いかにも前座さん向けの噺という感じで、僕はこういうのはなかなか苦手。くすぐりが古いというのか、聞き手はもちろんだが演者自身も「笑えるもの」と感じていないのではないか。

つづいて、『富久』。はじめに富くじの話があって、『宿屋の富』か『富久』だろうと思っていたのだが、後者。僕はこの噺ではあまり笑ったことがなく、反対に三三はどういうふうに演るのか興味があった。旦那をしくじった幇間の久蔵が、旦那のところで火事があったということで真冬の江戸を駆けるシーン、ここをどう演じるのか……と思っていたらここは省略されていた。あら。
僕が聴いた志ん生のものは、酔っ払っても愛嬌のある久蔵を演じていたが、三三は酒乱になっていて少しイヤな人間になっていた。もっとも、旦那をしくじったのも酒がもとなんだからそこはきちんと根拠のある人間像なんだけれど。
多くの噺家で『富久』を聴いたことがないからわからないのだが、富が当たったところで久蔵が腰を抜かすところなんか『宿屋の富』っぽいところがあって、志ん生ものよりよっぽど工夫されている。だが、久蔵がなけなしの一分を取り出して富くじを買うと言っていかにも人生を擲った大博打という態度を見せるところで、くじを売る方が「久さん、それは重いよ」と言う、この「重い」という表現。また、買った富の札を水天宮様の神棚に入れるところで、絶対に当たるというような意味で久蔵の遣った「鉄板」という表現。これらにものすごい違和感を覚えた。
柳家、といってもよくは知らないけれど、小さんだとか小三治だとかを聴くという場合に、マクラや地の言葉では現代語は出てくる場合があっても中身ではいっさい出てこないというのはなんとなく暗黙のルールになっていて、そこらへんは立川とは厳然と異なる部分だと思うのだが、さて、「重い」や「鉄板」という僕が現代風に感じた表現は、はたして江戸風なのか。
そういう些細なところに拘泥していた僕だけれども、他のお客さんはもっと正直というか、後ろ側にすわっていた僕からは白河夜船が幾艘も眺められた。眠ると、首が少し落ちるので、かえって前が見やすくなってよかったけれど。
上方の明るく笑いの絶えない噺に較べて『富久』は笑いが少なく、大阪のお客さんが退屈するのも仕方ないという気はする。かといってこの噺に意味がないかというとそういうわけでもなく、東京風の粋なところが感じられればいいのだと思ったけれど、それも上の表現についての引っかかりから、僕はあまり感じられなかったというのが率直なところ。

仲入り後のマクラでこんな一節があった。
電車は、停車しているあいだは起きているものだけれども、動き出すと寝てしまう、落語会もおんなじで、幕が下りていればお客さんは起きているものだけれど、噺家が出てきてしゃべりだせば寝てしまう。いや、あたしは無理やり起こすなんて無体なことはいたしませんが。
これは、前席『富久』のことを自虐的に触れたのではないかと僕は感じた。で、始まったのが『粗忽の釘』。上方でいえば『宿替え』。僕の頭には枝雀の『宿替え』がこびりついていて、逆に『粗忽の釘』はむかし志ん朝のものを数回聴いたくらい。柳家がどう演じるのか知らなかったが、だいぶ『宿替え』っぽさは感じられた。
いろいろと演劇的な表現も多く見られて工夫していたし、お客さんも大ウケ。有終の美ということで、よい印象のまま終えられてなんだかこっちが安心した。


全体の印象として、わがままで生意気なことを言わせてもらえば(ただ、きちんと金を払って足を運んでいるのだからそう言う資格はあると思う)、少し「理」が勝ちすぎている感じがあった。落語を演じていることがたのしくてたのしくて仕方ない、というよりは少し分別がつきすぎている印象があって、それはたとえば『一目上がり』の説明の立派さ(嫌味ではなく)にも見られた。噺家は理窟っぽくなくたっていいと思うんだよなあ。これはもちろん好みだけれども、いくら基礎の部分では理窟で噺を構成構築していっても、最後の最後、つまりお客さんに見える部分にはなんとなく愛嬌があった方がよいと僕は考えている。三三は生意気だとかそういうことはまったく感じなく、むしろ勉強熱心ないい噺家だとは思うんだが、この大笑いできなかった、あるいは東京の風を感じられなかった虚しさを説明するには、やはり彼の「理屈っぽさ」に理由を求めてしまう。
まだ芸歴二十数年だとかで、今後もっと躍進することだろうから、その一皮むけたところをまた観たい。十年後くらいかな。


終演後、会場の入口に演目が貼りだされてあって、僕は『一目上がり』以外は知っていたので(その『一目上がり』についても三三自身が言及した)見る必要はなかったけれども、東京噺だからおそらく知らない人も多かったと見えて、みんながそこに集まっていた。が、その筆できちんと書かれた演題をメモするのではなく、ほとんどの人たちがスマホやらタブレットやらで撮影していたのだが、なんだか時代ですなあ……。旧弊な僕から見ると、たいそう野暮ったかったざんす。

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YouTube笑福亭福笑の『時うどん』を聴いていたら、都々逸の説明があった。都々逸じたいは知っていたが、七・七・七・五の形をとるということを知り、なるほどと思った。その噺の中にあったきれいなもの。

わたしとあんたは羽織の紐よ
硬く結んで胸に抱く


目から火の出る所帯をしても
火事さえ出さなきゃ水いらず


酸いも甘いも身に持ちながら
色つきゃ裸になるみかん


きょうは雨降りだったので銀行に行って記帳したり、あるいはインターネットバンキングができるよう登録してきた。
帰りに本を読みたかったのでスーパーの中にあるマクドナルドに入り、ポテトとスプライトで時間を潰していたら、近所の高校生たちが幾人かごとのグループに分かれてわらわらとやってきた。
うるさくなってはかなわないと思っていたのだが、そこは田舎の女子高生、適度にきゃはきゃはと盛り上がるのみで、周りに聞かせるような騒ぎ方をしなかった。優秀優秀。
男子高校生は二人だけいて、彼らはなにかを期待するように二人組で席に粘りつづけていたが、世の中にそんな幸運が落ちているはずもなく、一時間ほどしてから諦めるように去っていった。チミたちがなにを望んでいるのか、おじさんには手に取るようにわかるのだよ。二十年ほど前に通ってきた道だからね。
ふと、少し強めの香水がかおった。香水というよりはコロンのレベルだ。懐かしい感じの香り。世の中でおそらくハイティーンぐらいしか使わないような香り。
そこでひとつ捻ってみた。

名前忘れど香りは今も
花咲くような人でした

うーむ。なかなか難しい。難しいので、席を立ち帰宅することにした。
実は、今日は地域で「えべっさん」の準備があるとかで、休みだからといって家の中で暇そうにしているわけにもいかず、だからわざわざ外出してマックで時間を潰したりしていたのだ。
吉兆などというものを作り、商売をやっている家はそれを購入し、一年の商売繁昌を祈願する。宵戎の最後には餅まきをし、いやあめでたいめでたいと正月を言祝ぐわけだが、僕個人はそれほど盛り上がるわけではない。そこで、もひとつ。

正月祝いにゃ豆でも播きゃよい
芽出た芽出たの声がする

お粗末。

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年始に聞いた話だが、あるお坊さんが、ある外国人に援助をして日本の学校に通わせたという。その外国人は本国に帰ってから、感謝の気持を込めて毎年そのお坊さんに年賀状を送ってくるようになった。
月日が経ち、お坊さんは死んでしまい、その息子に代を譲った。毎年封書を送ってくれる外国人にもその知らせを出し、もう来年からは年賀状も要りませんよと伝えた。
ところが、年賀状は途絶えない。息子坊主の名前でも送ってくるし、故人坊主の名前でも送ってくる。封筒に印刷された相手の住所に、これこれこうだからと詳細を説明し、年賀状は不要だという内容のハガキを送る。けれども、その翌年も、当代坊主、先代坊主へと計二通、年賀状がやってくる*1
へー、今年はどうだったんですかね? と尋ねると、やっぱり来たそうな。先代が亡くなってから、四十年弱。もうツッコミのハガキは送らないようにしている、とのことだが、僕なんかはそれが妙に面白くて面白くて、「このたび、百十歳になりました」とか「いよいよ百二十歳です、まだまだ元気です」とか、そういう挨拶状を送ればいいのに、と思った。そのうちむこうの外国人も亡くなって、それでもその家族なんかに「ものすごい恩人だから、決して礼を欠かさないように」と言い聞かせ送らせつづけるかもしれない。まるで小説の世界だな。題名、「死者の交わす挨拶」。

こっちは死んでもいないってのに、誰からも年賀状が来なくなった。出さずもらわず、になって久しい。来るのは業者ばかりなり。
昨年暮れにも一度振り返ってみたが、年が改まりあらためて指を折ってみたら、昨年だけで五人くらいの交友関係が切れていた。昨年八月末でブログを替えたときを機会に、ネットでの交友もだいぶ減らした。
「時間がない」ばかり言って卑下しているんだか自慢しているんだかよくわからない僕だけど、とにかく他人の文章がほとんど読めなくなってしまった。時間だけでなく、読む能力、気力のすべてがなくなってしまった。
くわえて僕は、読むだけでなく書くのも遅いから、それだけでもできることが限られてしまう。そんな状態なのに、「そもそも国家とは……」なんて抽象的なものを話題にしたネットに落ちている文章なんて読めるわけがない。
と言ったって、本当に抽象的なことを考えるのが嫌かというとそんなこともなく、たとえばいま読んでいる網野善彦宮本常一『忘れられた日本人』を読む』にも、そもそも日本が成立したのは七世紀のことであって、みたいな話が出てきて、そこから類推するに、きっと著者は民族的出自についての差別や妙なプライドなどそれこそ非科学的でバカらしいと思っていたんだろうなと想像したり、そういうのは面白い。「そういうの」っていうのはつまり、

  1. 専門家や研究者の文章
  2. 実際の経験に基づいて書かれた文章
  3. 創作物

のいづれかということ。来年はこのルールをいよいよ徹底させて、没交渉人生を邁進する所存でございます。


ところでこの文章、橘家圓蔵(もしかしたら円鏡時代のもの)の『猫と金魚』を聴きながら書いているのだが、面白いくすぐりがあったので、まったく関係ないけれど記録しておく。
飼っている金魚を隣のネコが食べに来るからどうしよう、と家の主が使用人に相談すると、

「煙突の上に置いて、(鑑賞したいのなら)双眼鏡で覗いたらどうです?」
「バカヤロ、コノヤロ、おりゃあ山本五十六じゃねえぞ!」
「洒落がちょっと古いですね」
「ああ、古いか……そうか、おれもちょっと古いと思った。じゃあ、もうひとつ新しいギャグやるから、もう一回(ネタを)振れ」
「双眼鏡で覗いたらどうです?」
「バカヤロ、コノヤロ、おりゃあ、203高地で金魚飼ってんじゃねえぞ」
「余計古いです」


あと、年末にイヤフォンをPC につないでずっと聴いていた音楽。

6:50あたりの、雲の上に魂を持って行かれてしまう感じ。音楽好きでもないし音楽に詳しいわけでもないけれど、天上の音楽ってこういうものではないか。こういうのって、人生であと何回体験できるんだろうか。

*1:おそらくは、名簿を機械的に処理して宛名を書き、送っているだけだろうと思う。

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