とはいえ、わからないでもない

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全然観ていないドラマのことなのだが、『若者たち』という半世紀近くむかしのドラマをリメイクしたのがやっていて、第五回あたりの途中から途中までを観て、なんじゃこりゃと思った。

妻夫木聡満島ひかりが兄妹なのか、妻夫木が満島の働いている病院へ行くと、なんだか障碍を抱えた子どもについて難しい問題が起こっていて、一時失踪しかけたその母親を、満島が追いかけ緊張感のある演技で説得を行っていて、これはなんかいろいろな意味ですごいなあと思ったのだが、妻夫木はというと、わりとむかしの金八っぽい演技で熱演していたのだが、その方向性が満島とアンバランス*1じゃないかと思ってちょっとハラハラした。それはまあいいとしよう。
で、そうやって本来なら無関係なはずなんだけど妹の仕事に関わってしまったもんだから、妻夫木は就職の面接に行けなかったようで、それをおそらく恋人であろう蒼井優に打ち明け、謝っていた。蒼井優は、妊娠している(?)のだが、妻夫木が仕事に就けないもんだから、泣きながら「わたし子どもを堕ろすよ」みたいな、これまたシリアスで自然な演技をして、ははーん、こりゃけっこう重いテーマのドラマなのかな、と思いきや、突きつけられる現実に苛立ちを覚えた妻夫木が、近くにあった空き缶を投げたか蹴ったかしたら、それが誰かに当たって、その誰かというのが実は妻夫木の知り合いだったらしく、ちょっと話したら「じゃあうちへ働きに来なよ」ということで失業問題と堕胎問題が三分で解決。なんなの、これ?
オリジナルも知らないけれど、若者の失業(雇用)と少子化というのは、おそらくリメイク版として新たに作った設定だったと思うのだが、適当に切り込んだだけ、という印象を持った。いや、前後を観ていないからなんとも言えないというのがほんとうだけど、泣いたカラスがもう笑った、じゃないけれど蒼井優の三分前の涙はなんだったの?


ちょっと前のコメントに書いたことの繰り返しになってしまうのだが、表現にはさまざまな「モード」がともなっている*2
で、そのモードがあるからこそ、マンガや小説やテレビドラマや映画や舞台演劇やミュージカルをわけて観られる。歌舞伎や落語だってそう。
たとえばマンガには、枠線があり、コマ割りがあり、吹き出し等がある。
それらが構成するものがマンガ、という規則をあらかじめ理解しているから、「あれ、この絵の周りにある線ってなんなの?」とか「いちいち、四角い箱に書かれているのはなんで?」とか「この人の口からぷかーっとケムリが出ていて中に文字があるの、これなに?」などと引っかからずに、すんなりと物語の展開を追っていける。

そういうふうに、他の小説やドラマや映画なんかにもそれぞれのスタイルがあって、われわれはそのモードに則った理解を、いくらかの訓練を経て行っている。
だからわかりやすいところでいえば、ミュージカルを「なんか突然歌い出して意味不明なんだけど」と観てもいないで批判する人がいるけれど、ああいう発言には、好み以前の訓練の未熟さが隠れているわけで、そこに自覚的であるか、あるいはそうでないかによって、発言者の知性がある程度には測れると思う。
まあそういう意地悪なことを言いたいわけではなく。

舞台演劇のテンションの高さも、慣れていない人にとってはツライものとなる場合がある。ところが、あれに慣れてしまうと反対にドラマがぬるく感じてしまうので、僕なんかはそのために長いあいだテレビドラマを観ることがなかった。
キムタクのいわゆる自然といわれている演技は、音声がきれいに集音し、カメラマンが彼の顔をズームしてくれるからその細かい表情が読み取れるわけで、そういう技術的バックボーンの上に成り立っている演技だ。良し悪しとは別に。
しかし通常の舞台ではあの演技では通用しない。表情がわからないし、声もぼそぼそと聞き取りづらく、仕草も細かい。遠い後ろの席からでは、彼がなにをやっているかわからない。客は不満を抱くはずだ。彼が存在しているだけで満足なの、という人でなければ。そうなると、彼は演技を変える必要に迫られると思う。「静かな演劇」というのもあるが、しかしあれでも、ある程度は声を張らなければ、やはり後部座席にまで届かないだろう。
反対に、舞台の素養が強すぎるばかりに、映像の世界では大袈裟に映ってしまう俳優も少なからずいて、その代表を僕は藤原竜也だと思っている。その相違を埋めるのに彼はけっこう苦労しているのではないかと思っている。

表現っていうのは、現実世界に依拠しつつも、それを完全に再現することができない。そしてその擬似的な再現のなかでもさまざまな差異が生まれる。
試しに、マンガの「名セリフ」だと思うものを言葉に出して読んでみると、けっこうな割合で「あれ?」となる。僕も実際にブログでマンガの感想を書いた際にセリフを抜書きしたことがあったが、何度も「あれ? 思ったよりも『名文』じゃない」と戸惑うことがあった。しかしそれは、たしかにマンガ内で読めばきちんと名文なのだった。
これはつまり当該文章が、小説や随筆などで経験している「書き言葉」ではなく、マンガ内での「書き言葉」だったからで、逆にいえば、そういうモードの相違が、表現の多様性を生んでいるとも言える。
だいたい「名文だ」と銘記する場合、小説や随筆の文章であるにもかかわらず、詩のモードで記憶しようとすることが多いのではないか。詩の、あのひとつひとつのフレーズが朗読・暗誦に耐えうるようにできているモードに当てはめようとし、ときには「あれ?」と齟齬を感じることもあるかもしれない。小説・随筆と詩とは、似ていながらも別々のモードにあるから、齟齬は生じて当然なのである。


で、冒頭の『若者たち』に覚えた違和感は、「モード」の中の「モード」に統一性が感じられなかったことによるもので、つまり、(ナチュラル系ではなく)熱血系の演出がついたテレビドラマというモードの中で、重くマジメなストーリー展開をするという「シリアスモード」と、ご都合主義的によってトラブルが解決するという「お気楽モード」が同時に存在していて混乱してしまったのである。そういう混乱を求める実験的な性格を持ったドラマだとも思えなかった。
まあ、ろくに観ていないし今後も観ないであろうドラマについて批判する資格もないのだけれども。
なお、そのあと一回だけ瞬間的に観たときには、妻夫木の他に、満島、瑛太、柄本明の息子のどちらか、がいたのだが、その家の内装やら彼らのユニクロの広告みたいな地味な服装やらが、醤油で煮しめたような茶色感に彩られていて、これはつまり……「昭和風」ってことなのかなと笑ってしまった。


モードについて、現実に最大限依拠している「話し言葉」と、構造上それを改変・修正してしまう「書き言葉」との関係性は、つまりリアリティとフィクションとのそれであり、とても興味深いところなのだが、これより先のことはいま考えている最中で結論は出ていない。というより出そうとも思っていない。

さらに。
こうやって書いているこの文章もまた「ブログ」というモードに則っていて、僕がいかにふつうのおしゃべりを心がけたり、あるいは私淑するエッセイストの文章などを目指したとしても、たぶん成功せずに違うものになってしまうだろう。同じような意味で、いくらブログの文章を何十万字と重ねていこうと、それはきっと小説にはならない。
そのことは案外、1カラム/2カラムなどの並び方・背景画像・フォントなどの「見え」の部分や、コメント・スター・ブクマ等におけるレスポンスの構造部分が遠因ということもありうるし、また、上記レスポンスをある程度想定して書いてしまうという自意識/無意識の影響も、少なからずあるだろう。あるいは、好きな/憧れている/注目されたいブログに知らず知らず影響を受けている、ということもありうる。
大事なことは、どれほど自由に書いているつもりでも、なんらかの規則の支配下にあるということで、それを荒く括ってブログのモード、ということを言いたい。
ということは、ブログだけでなく、フェイスブック、ライン、ツイッター等々におけるモードというのも厳然として存在し、ユーザーは、おそらくは訓練によって各モードでのふるまいをほぼ自動的に選択し、適切な行動を採ることができるのだろう。
それくらい話すことと書くことには乖離があって、そのことについて考えるのが、いま面白い。

*1:具体的に言うと、そのときは、妻夫木が大袈裟系の演技で、満島が自然系の演技だった。

*2:この「モード」の定義の正しさはわからない。「コード」なのかもしれないが、そうなると哲学思想関係の言葉に関連してしまい、余計に精確さを失うと思うので、あえて「モード」。

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大阪へ行ったとき、古本屋もいくつか回った。ブックオフのようなものではなく神田神保町にあるような古書店である。
そのなかで、團伊玖磨の『パイプのけむり』の文庫本の一巻から三巻までを置いてあるところがあった。一冊百五十円。安い、と思ってすぐにレジカウンターに持って行った。

十数年ぶりに一巻を読み返し始めた。面白い。しかし面白いだけではない。これらの随筆の基底には偏屈さがある。ともすれば固陋にも狷介にも感じられるが、それが心地よい。いや、心地よく感じられる人間には心地よい、と言うべきか。
いままで意識したことはなかったが、人格形成期にこれを読んだという経験が、その後の僕の価値観なり世間に対する態度なりに、かなりの影響を及ぼしたのではないか。

たしか二十歳そこそこで読んだときには、七巻か八巻くらいまでは図書館で借りたような記憶がある。ネットで調べてみると、ずいぶんと刊行されたらしいということがわかる。

  1. パイプのけむり
  2. パイプのけむり
  3. 続々パイプのけむり
  4. パイプのけむり
  5. 又々パイプのけむり
  6. まだパイプのけむり
  7. まだまだパイプのけむり
  8. も一つパイプのけむり
  9. なおパイプのけむり
  10. なおなおパイプのけむり
  11. 重ねてパイプのけむり
  12. 重ね重ねパイプのけむり
  13. なおかつパイプのけむり
  14. またしてパイプのけむり
  15. さてパイプのけむり
  16. さてさてパイプのけむり
  17. ひねもすパイプのけむり
  18. よもすがらパイプのけむり
  19. 明けてもパイプのけむり
  20. 暮れてもパイプのけむり
  21. 晴れてもパイプのけむり
  22. 降ってもパイプのけむり
  23. さわやかパイプのけむり
  24. じわじわパイプのけむり
  25. どっこいパイプのけむり
  26. しっとりパイプのけむり
  27. さよならパイプのけむり

この最後のあたりで、たしか作者が入院して雑誌連載に「穴」を開けたときがあって、それを表現するために白紙のページが一枚挿入されていたと記憶している。当時実際に、書店に並ぶ新刊をぱらぱらと立ち読みし、それを確認したのだ*1


ちょうど、というわけではないが、この連載が始まったのが昭和三十九年(1964)のことで、今から半世紀前ということになる。まだ三分の一ほどしか読んでいないが、たとえば、「低速道路」という回では、特急で東京ー大阪間が六時間半というスピードに呆れ、さらに、「今度の新幹線」は、「たったの四時間で走り抜けてしまう」と驚いている。
ただ文明の進歩に驚いているだけではない。
かつて、弥次さん喜多さんが旅していた頃は、人と人とがぶつかってもせいぜいが瘤を作るくらいだった。それが「今」は、大勢の人間を迅速に移動させることができるが、もし事故が起これば大量の犠牲が出る。これを「文明の必要悲劇なのであろうか?」と疑問を呈している。さらに面白いのは、「もう少し文明が進めば、交通などというものは一切不要になるのではないか」と予測していることだ。テレビを使うことによって、全国の人間がその地にいながら会議、商談、結婚式に参加できるようになり、そのとき交通は、もはや「過去の遺物」になっているに違いない、としている。
論はさらに進む。
となれば、新幹線や高速道路というものは、「時代遅れ」になるであろうから、そのときのために政府は「超低速道路」の建設に着手したらどうか、と提案する。

次の時代では、あらゆる通信機能の発達によって、交通というものの必要性が殆ど無くなり、旅行、交通は、楽しみのためだけになるわけである。


朝日新聞社文庫版 85p)

いまだに通勤ラッシュはなくなっていないけれども、上の予想はほとんど当たっているといってよい。お金や心や時間に余裕のある人たちは、より時間のかかる旅行をたのしんでいるのだ。


とまあ、この予測が的中したことなど、作者の文章にとってはほとんど意味がない。重要なのは、(僕はまだ生まれてすらいないので想像することしかできないが)おそらく日本国中が東京オリンピックの開催で湧いていたであろうときに、その経済成長のシンボルである新幹線に疑義をあらわしていることである。
すぐれた文章は、ときにすぐれた文明批評の形をとる。現代のように、一般論A に対し、同じ枠組みの中にありながら反A を唱えるだけのちゃちな批評ではなく、枠組み全体を批判する。著者が身につけた知識や教養や価値観が現代のように劃一的でないことと、それは無関係ではないだろう。


「馬」という回は、むかしの東京では馬がよく見られたという思い出話から始まる。
著者の住んでいた原宿は、まだ「薯畑や水車」が残っているような場所だった、という昭和三十九年の「現代」の読者に向けた註のあとに文章はつづく。少し長いが、要約するのが難しいので引用する。

うちの隣は、牟田口さんという軍人の家であった。小さな泥の道を隔てて続いている牟田口さんの塀のあたりは、そのあたりの屋敷林の陰になっているせいか、いつも少し暗くて、蝸牛がたくさんいた。ことにその塀の中程にあった、いつも閉めている木の門には春から秋にかけては必ず四、五匹の蝸牛が這っていて、小さかった僕と妹とは、その蝸牛を獲りに行くのが楽しみだった。
朝になるとその門は開いた。そして、聯隊に出勤する主人を乗せるために、馬丁が曳いて来た馬が繋がれるのだった。僕はその時刻を知っていて、台所から人参を持って行ってはその馬にやった。馬のそばに行くのは何となく怖かったが、美味そうに人参を食べる大きな動物を見るのが楽しかった。
(中略)
そして、やがて門から出て来て、僕が人参をやった馬に跨って出勤して行く牟田口少佐の姿が、子供心にピカピカと立派だった。

この少佐、後年(十年以上のち)には中将となり、その活躍を新聞で見ることになったという。

僕は、子供のころの縁があるので、牟田口部隊のことが新聞に出る度に、その記事をそれとなく繰り返して読んだ。新聞紙と僕の間を、蝸牛の這っていた門と、馬と、人参の遠い記憶が、武蔵野の朝の光の思い出とともに横切って行った。


(同書 21p-22p: 太字強調は引用者による)

太字にした部分、ここにある詩情はそうそう簡単に見つかるものではない。
なお、この「馬」はこれだけでは終わらない。
昭和二十四年四月十三日、東京の大空襲で、陸軍戸山学校にいた著者は、燃える厩舎から逃げ出した炎に狂う数百頭という軍馬と遭遇する。彼は、「怖ろしさのあまり、叫び声を上げながら地面に倒れた」のだが、その後。

恐怖の地響きと不吉な黒と紅との拷問の中に、脳裡を、馬は人を踏まないのだという考えが一瞬走って消えた。頭を抱え、足を縮めてうずくまっている僕を飛越え、取巻いて狂い回る、炎に光る蹄鉄と、数百本の脚のシルエットを透して、僕は、遠く早稲田の方の空が一段と紅く燃え上がるのを見た。

おそろしく切迫した情景なのだが、まるで映画のように、一瞬だけすべての時間が止まったような静けさを感じる。実際問題、緊急時にここまで観察していたとは僕は思わないのだが、この文章の美しさを否定することは難しい。


色盲」という回もある。
色盲の著者は、小学生の頃、図画の時間に写生をしていると教師に「見た通りに描かない」と言って叱られ、教室の隅に立たされたというごく悲惨な経験から語り始める。八歳の少年は、自分の目の能力の限界について知らず、また、著者が色盲であることを知らない教師はつねに彼を叱責し、彼は図画を憎むようになったと言う。読者は色盲のもたらす哀しみに打たれ、著者に同情を覚える。
ところが著者は、人の洋服の色、ネクタイの色も覚えられないという「混乱」を挙げたあと、そっと「人の顔の変わるのもほとんどわからない」ととぼける。そしてさらに、色彩について弱いので、「の道」についてもとんとわからないまま来た、と戯れる。小学校時代の悲惨な色合いが、少しだけ薄まる。
色盲は視神経の異常なので眼球には影響がないということを知り、著者は死後にアイバンクへの寄贈を決定する。ここでまた文章は、シリアスな色調を帯びる。

僕の目は、僕の死後、誰かの目となる。そして、数十年の間、僕に狂った色を見せ続けて来たその眼球は、きっと、今度はその誰かに、美しい、正しい色の青空を、咲き乱れる花の色を見せるのだろうと思う。


色盲は、やはり悲しいものである。

ここで、文章は終わる。


はたして十数年前の僕は、これらの文章の底にある機微をきちんと読み取れていたのだろうか、と思った。読み返す前までは、團伊玖磨=頑固者のおっさん、というイメージがあったが、実際はそれほど単純でもないように思う。
冒頭にも書いたように、團の文章には偏屈さはたしかにあるのだが、それだけではない。音楽家らしくというか藝術家らしくというか、鍛え上げられた感性がペン先からあふれでて、文章で音楽を奏でさせたのだろう。
時代がそういう時代だったということなのかもしれないが、たかだか四、五ページの文章でも、実に印象深いエッセンスが隠されている。

以前、インターネットで誰もがブログを書くようになったので、プロのエッセイストが書くエッセイを読む人はきわめて少なくなった、と断じていた人がいたが、実情は、アマチュアの技術が向上しレベルが底上げされたのではなく、プロのレベルが全般的に低下しただけなのではないか。
豊富な話題・経験、それを洒脱に描く技巧、そして、それらを全体的にコントロールできる揺るぎない著者の個性。これらの条件を満たす文筆家が、もはや少なくなっているのだろう。
團伊玖磨について言えば暴論・迷言も少なからずあるにはあるのだが*2、『パイプのけむり』を読むたのしみは、書かれてから五十年が経とうとも、まったく失われていない。『パイプのけむり』を薦めてくれた僕の父は、團伊玖磨の人物を、その苗字に引っ掛けて「まさにダンディズムの人、って印象だな」と評していたが、そう遠くはないと思う。
これらを読んで、いささかなりとも文章技術が向上すればよいというわづかな望みを抱えつつ、読書をつづけていく。

*1:ネットで調べると、「どっこいパイプのけむり」のようだ。

*2:たとえば映画を、「暗いところでしか見えぬなどという幼稚な代物が芸術である筈もない」(「嫌いな言葉」より)と一刀両断しているところがあるが、さすがにこの理由づけには無理がある。

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一月二十日、ネットを断った日に女友達からメールが来て、その不幸な過去を知らされた。彼女とはじめて会ってから十年以上は経つが、そんな事情があったなんてちっとも知らなかった。たぶん、知っていたら言わなかったことも多数あったと思う。

その翌日、隣のムラのNさんが昨年末に脳梗塞で倒れ、現在も入院中だという話を聞いて驚く。彼女とは秋口にお会いして少しお話しし、「じゃあ、また来年もよろしくおねがいしますね」なんていう挨拶を交わしていたところだった。Nさんのことを僕はUさんに教えてもらったが、そのUさん自身も「ここ数日は体調が悪くてよ。ご互い、気をつけようや」と僕に言った。
この報せを聞いてからひと月以上経つが、Nさんが恢復したという話は耳にしていない。


テレビドラマは、大河を「流し」で観た以外には、『夜のせんせい』と『隠蔽捜査』を観ていた。大河の一番驚いたことは、ナレーションが変ったこと。今週の日曜の回で気づいたが、それより前にもすでに交代していたのだろうか。
『夜のせんせい』『隠蔽捜査』にはそれぞれの面白さがあるのだが、それはまた別の機会に。
小説は、宮城谷昌光の『三国志』を読み始めて大いに興奮し、また、木田元ハイデガー入門本(?)を読み、それに触発されて本棚の肥やしになりつづけていたプラトンの『国家』を読んだ。その内容については「なげー」という感想がまず口から飛び出てくるが、それでも古代ギリシアの雰囲気に惹かれ、そして世界史をほとんど知らない己を恥じ、山川出版社の『詳説世界史研究』というかなり大部(僕としては)の本を本屋で見つけて購入、一日数ページづつを読み始めた。
落語は談志の音源をいくつかまとめて聴き、いろいろな感慨を持った。それについてもまた別の機会に触れることになるだろう。


今年の二月十四日は忘れられない月日になると思う。去年の成人式につづき、今年はバレンタインデーに記録的な大雪となった。テレビニュースでは関東甲信越の豪雪およびそれによるたいへんな状況を報じていたが、関西でもたいへんなことになっていた。
僕の知り合いでは、三軒の農家がビニールハウスをすべてか一部失うことになった。それとは別の一軒は、当日に「どうしたらいいかわからない」というほとんど泣き言のような電話をかけてきたが、その後どうなったかは訊けないままでいる。
その一方で、僕が内心「不死身」と呼んでいる農家が二軒あるのだが、そこは二軒とも無事だったそう。不死身といってもそのうち一軒は、車も通れない畑に行くため大雪の積もった中を一時間歩いて、それから雪下ろしをしたというのだからただのラッキーというわけではないのだ。
僕自身は、去年の痛すぎる教訓に基づき予防対策および当日の処理に万全を期していた。補強資材も大袈裟なほどに入れて、雪下ろしも早めに実行した。そのため被害は皆無だった。
NHK のニュースなどでも、山梨や埼玉のビニールハウスが無残に圧潰されているのを映していたが、その一方で野菜の高騰もニュースのひとつとして扱っていた。一時的な高騰の原因として流通の停滞もあったのだろうけれど、慢性的につづいている燃料費などの上昇にくわえてあのような被害を鑑みれば、野菜果物の高騰もやむなしと考えることは、これは当事者だからなのだろうかといつも思ってしまう。
好況であるとするならば(実感はないけれども)賃金は上げるべきだというのが一般的なマスメディアの見解であると思うが、ただ、野菜の高騰はネガティブなこととして報道するその姿勢に、農業なんてなくなったっていいよという底意が仄見えてしまう。これは漁業にしたって同じことだろう。第一次産業といったってそこらへんに転がっているものを人に売りつけているわけではないし、だいいち、ニュースキャスターが「一般庶民ヅラ」をしていることに矛盾を感じる人は少ないのだろうか。


話を戻して。
インターネットから離れることによって得られた知見もないわけではなかった。
よく「携帯電話を持っていないと一日中不安」という言説を見聞する。これは携帯電話を持っていない僕からするとまったくわからない感情であるが、一度その利便性を体験してしまうとなかなか(なにもなかった)元には戻れないということを示しているのだろう。それと同様に、インターネットを簡単に利用できる環境をいったん経験してしまうと、そこから離れることはなかなか難しくなってしまうのかもしれない。
今回は自分の意志でネットから離れてみたのだが、ただ、大雪のときの気象情報確認のためと、どうしても購入しなければならないものがあったために、数回だけインターネットを利用した。もしかしたらもう少し詳しいことを別に書くこともあるかもしれないが、ブログを書くのを別として、僕としては一番頻度の高い「インターネットの辞書的利用」はまったくしなかったし、これについては(もしその必要があれば)今後もまったくしないでいられるかもしれない、という感想を持った。
国語辞典、漢和辞典、外国語辞典については、とりあえずは手持ちのものがあるのでそれを引けばよいし、百科事典としてのWikipedia は、「ネット断ち」を始める前にはそれを利用できないことにかなり心配を覚えていたが、いざ始まってしまえば驚くほど必要としないことに気づいた。
「必要としない」の語は正確ではないかもしれないが、ただ、Wikipedia およびそれに代表される「インターネット上にある情報群」 がなければないで自分の好奇心を制限してしまえばよいだけであって、「制限」というと悪いことのように聞えるかもしれないが、「ハイパーテキストによる探究心の無制限の拡大」を制限することによって、かえって手元で確認できる知識をより深化させることも可能なのではないか、と感じた。俗っぽい話に換言すれば、他人とおしゃべりしているとそのしゃべっているあいだはいろいろと刺戟を受けて自分の考えが深まっているような気になるが、案外、ひとりで物思いにふけている方が考えがまとまることが多い、ということに近いのかもしれない。もちろん、僕の体験からいっても必ずしも後者の方が効果的とは限らないが。

偶然読んでいた保坂和志の文章にもあったのだが、「本来、自分自身の孤独を拠り所として書かれるはずの」文章が、そのうち、「読者に向けて書くような気持が芽生え」てしまい、そうなると読者の寛容な視点が入り込むようになり、「書き手は自分に対してどんどん寛容になってしまう」*1
上記は、実は小説家の小説に対する態度についての言説なのだが、同様のことがブログのような文章についても言えるのではないかと僕はずっと以前から思っていた。
上記のうちの、「自分自身の孤独を拠り所として」というのは実に見事な形容だと思う。<私>の言葉は、まず一番に<私>自身に聞かせたいものであるはずだ、と僕は考えていて、それが他人ウケを意識してしまった途端に、読者にとってつまらないものというか、書いている当人にとってつまらないものになってしまうのではないか。
まあ、「つまらない」とか「面白い」とか「意味がある」というのは人それぞれだろう、という言い訳もここに言い添えておこう。「いくらPV があった」とか「いくら稼いだ」など、いかなる基準を設けようとそれはその人の勝手である。

と同時に(という表現が正しいかどうかは不明であるが)、インターネットが使えないあいだ、僕は以前の職場にいた同僚のことを思い出すことがあった。
彼は四十代独身で、毎日のアルバイトの帰りに、最寄り駅駅前の居酒屋でちょっとした肴で軽く飲むという。それを聞かされた当時は、「ふうん、家に直行すれば余計な金をつかわないで済むのに」と思い、それを彼に伝えもしたのだが、「そこで話すのがたのしいんですよ」と返答され、そんなものかなあと思っていた。
だが、今になってその彼の気持がなんとなくわかるようになった。家に帰ってきて誰もいないことに寂しさを覚え、ツイッターなどで「ただいま」とツイートし、そこに「おかえりー」みたいなリプライがつけば、それはそれでわづかなりとも紛れるものがあるのではないか。当時の彼には「ツイッター」のような便利なものはなかったと思うので、手っ取り早く居酒屋に行ってなにとはなしにしゃべるのが気晴らしになっていたのかもしれない。
かく言う僕も、なんとなくではあるが、誰それの文章を読んだり、あるいは読まれたりすることを一度でも体験してしまったために、「ネット断ち」のあいだ、そのやりとりからの「疎外」を感じないわけではなかった。
そしてその「疎外」以前に、書けないことのフラストレーションをかなり感じた。それはきっと、思ったことを書く行為が日常化していたためだろう。

「書けない」というのはおかしい、という批判が僕自身のうちにも起る。文章を書けないということはない。ネットは使わなくてもPC は起動できるのであるから、ワードなり一太郎なりに思いの丈を書き込めばいい、というのが常識的な理窟だ。
ただ、一月二十日からすぐに書き始めた「日記」はあまりつづきはしなかった。仕事の合間に思ったことを簡単に記したメモはだいぶ溜まったが、それをワープロソフト上で整理しようという意欲もなかなか起きなかった。
一月三十日の時点で既に、「文章には、記録用のものと、他人の読むことを意識したものとの二種類があることを痛感。後者は、書く動機としては強いものだが、同時にきわめて神経を費やすものなり」という記録をしていた。
他人を想定した文章は、「書く動機」となりうるがしかし同時に面倒なものでもあるので、完全に個人限定の記録をするためにわざわざ煩瑣な思いをするのは避けたい、というのが偽らざる心境だ。つまり上に書いた「書けない」は、物理的に「書けない」のではなく、公開できない文章をわざわざ書こうとする気にはなかなかなれない、ということである。


とまあ、一ヶ月強の思ったことをつらつらと書いていったら、夜が明け日が昇りそしてまた日の沈んでいくことになってしまうので、ここらへんでひとまず。
そうそう。日々の記録という意味での「日記」は二月の初めで終わってしまったのだが、その最後の文章。

バリカンで頭を刈るときのこと。頭頂部(いわゆるトップ)は18mm、側頭部(いわゆるサイド)は12mm でカットするのがよい組み合わせのようだ。

これがほぼひと月前の、僕のどうしても記録したかったことらしい。

*1:河出文庫版『言葉の外へ』127p

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アマチュアの書く文章で「あなたは~だろうか?」と大上段に構えているのを見てしまうと、恥ずかしさにいたたまれなくなる。

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そうそう。メモ的に書いておくけれど、「他人の文章が読めない」の理由として、ほとんどの書き手に対しシンパシーを持っていない、というのを思いついたけれど、わりとこれは重要なのではないだろうか。
シンパシーを持っていないから、興味がなく、だから読めない。これはわりと理解されやすい理由に思える。
それでは反対に、他人の文章を読むためには、相手にシンパシーを感じなければいけないわけで、そのためにはまず、相手の文章を読まなきゃならないわけだけど、そもそもの前提として「可処分時間」が少なく、でもやりたいことはいっぱいあるという中、「読む」という作業が苦手なのだから、新たに開拓しようとはなかなか思えなかったりする。

あと、自分がプロフィール欄を満足に埋めてもいない人間なのによく言うよっていうレベルだけど、相手がどういう人なのかということがよくわからないと、興味が持てない。きなこさんが書かれていたと思うけど、「記事や記事群を読む」というのがたしかに最も確実だとは思う。でも、そういう文章の「実」の部分とは別に、ものすごく具体的に言ってしまうと、相手が理由もないのに働いていなかったりすると、もう読む気も起こらないんだよね。
病気の治療のために静養しているだとか専業主婦だとか、いろいろと家庭の事情というのはあるから、そういうことについてはまったくなにも思わない。でも、なにやらわからないけれど毎日毎日ぷらぷらしているみたいだなあ、と思ってしまうとまったく読むことができない。まあ生き方はその人の自由なんだから、そのままでいいんじゃないか、と思う。ただ、その人にシンパシーを感じる必要はないと即断する基準が僕の中に厳然とある、というだけで。
その最たるものが(こう書くとアレなんだけど、読んでいる人はたぶん少ないからいいや)学生の文章で、申し訳ないんだけど絶対に読めない。
この年齢とか経験の差って、自分が二十代の頃よりも強く感じるようになっていて、たぶんこの思いは年を経るにつれ強くなっていくのだと直観している。そりゃそうだよね。人間は漠然と毎日を過ごしているわけじゃないのだから、その積算は単純に経験の差となってあらわれるはずだ*1

むかし、母に村上春樹を読んでみたらと薦めたとき、「同世代の文章なんて読む気がしない」と言っていて、僕はこの言葉をわりと興味深いものとして記憶しつづけてきたのだけれど、たしかに、自分が二十代のときには他の二十代の書いた文章なんて読もうとも思わなかったし、三十代になったいま、他の三十代以下の書いた文章も、あまり読もうとは思わなくなっている。まあこれは精神年齢の話でもあるのかもしれないから、ごく稀に二十代でも「お」と思わせるものを書く人がいるかもしれないけれど、寡聞にして出逢ったことがない。
十代だけど自転車で世界一周してきました(平田オリザか!)、とかじゃないんだよね。むしろ、そういうもんじゃないってことだけは言えそう。

ネット上に見られる感覚の乖離っていうのは、どうもここらへんのシンパシーの部分と深く関わっている気がする。それは世代ごとに一様に乖離しているのではなく、個々人の感度のキャパシティの差によって、だいぶ変化する部分だと思う。僕の場合、許容幅は「極小」ってことだ、たぶん。

*1:ということは、取りも直さず、僕の文章は年長者から見れば噴飯物ということになる。これも当たり前のこと。

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最近、下書きが何本も増えている。
いろいろなことをもとに書き始めるのだが、途中で自分の文章に飽きてしまう。
この「飽きてしまう」という記事でさえも、実は二回目で、前のは途中まで書いたのだが、どうにも書きつづけられなかった。うーむ。


小学五年くらいのときに、動物愛護作文コンクールに作文を提出することになった。
その年か、あるいはその前年に、ザリガニ釣りでつかまえた二匹のザリガニを飼い、そのうちの大きい方が小さい方を食べてしまった、ということがあって、そのことを書いた。
ひととおり書いて先生に渡すと、「うーん、小さいザリガニ(チビという名前だった)が大きい方(デカ)に食べられてしまったときのことをもうちょっと……」となにやらを匂わせた。
僕は勘のいい子どもだったから、「あ、これはもうちょっと強く書けってことだな」ということがすぐにわかった。「強く書く」というのはつまり、劇的に書く、ということだ。
書き直した文章は、だいたい以下のようなものになった。

(前略)翌朝、水槽を覗くと、死んでしまったチビと、それを食べているデカがいた。「なんでチビを食べてしまうんだよ! チビはおまえの仲間じゃないか!」と僕は叫んだ。

十歳前後の僕は、これを書くことにだいぶ躊躇した。なぜなら、僕は叫ばなかったからだ。
上の文章は朧気にしか憶えていないのだが、しかし「チビはおまえの仲間じゃないか!」という文言は、まったく精確である。嘘を書くということへの羞恥心と罪悪感のために、僕の心の中では「仲間じゃないかー、ないかー、ないかー」とエコーがかかった状態で記憶されてしまったのである。
そして僕は、いわば悪魔に魂を売り、この修正版を先生に手渡し、それはそのまま都内○○区のコンクールに提出され、賞を受賞した。何賞だったか忘れたが、受賞作品だけを集めた文集をもらった。
このとき、僕ははじめて文章で嘘を書けることを知った。それを表現のひとつというのであれば、表現の多様性を知った、ということもできるかもしれない。どっちにせよ、言葉は真実をあらわさないし、本当のことを書かなくても他人を感動させることさえできる、ということを――もちろんそんな理解の仕方ではなかったものの――知った。

後日談ではあるが、ある都立高校に入学して、初日の自己紹介を終えたあと、女の子がひとり近づいてきて言った。「○○くん、小学校のとき、ザリガニの作文で賞をもらったでしょ? わたしもあのとき、カナリアの作文を書いて賞を穫ったんだよ」
ああ、そうなんだ、と応じたと思う。僕は他人の作文なんて興味がなかったから、文集も自分のところ以外は読まなかったし(自分のは読むのかよ!)、それっきりどこかにしまったままになっていた。それから五年以上経っていることになる。
「○○くんの作文はすごく印象的だったから、名前を憶えていて。それが高校で、しかも一緒のクラスになれるなんて信じられない!」みたいなことを言っているんだけど、僕は初日ということもあって非常に緊張していたし、外観上ではまったくそう受け取られないのだがものすごい人見知りなので、「ああ、そうなんだ」と応じるだけの機械になっていた。
数ヶ月が経つ頃には、僕は彼女とデートをするようになっていて……みたいな話はまったくなく、彼女は、僕がぐうたらで成績不良、遅刻や欠席の常習犯ということを知ってすぐに愛想を尽かし、ほぼ無視状態。僕は僕で、最初の英語の授業で彼女が披露したやけに舌を巻く発音が鼻につき、毛嫌いするようになっていた。今だったら、そんなつまらないことで嫌いになるなよ、とは思う。でも、もともと好きなタイプの女の子ではなかったのだ。


あの小学生のとき以来、僕はだいたいにおいて嘘を書く癖がついてしまい、なにか文章を書くとなると、それを制御することに苦労するようになっていた。といっても、小中高では作文以外になにかを書くということもなかったし、日記をつけることもしなかった。家族中が読書をしていたので、それへの反感から読書もしなかったし、つまり文章と関わることをいっさい避けていた。
それが、大学に入学した年、父に薦められて鴎外『阿部一族』を読んだときには、衝撃を受けた。
ほぼ事実*1の列記だけで、いや、列記だからこそ、伝えられるものがあることを知ったのである。
ということで、本棚へ『阿部一族』を取りに行ったら、いつ買ったのか憶えていない昭和十四年の岩波文庫『阿部一族』が出てきた。表題はもちろん右から左。奥付を見れば、「定價二十錢」とある。
それはともかく。
阿部一族の話を簡単に説明すると……細川の殿様が死ぬというとき、その寵愛を受けている者が殉死をさせてください、とまだ生きている殿様に願い出、そしてそれは許されるのであるが、どうしても阿部彌一右衛門という者にだけはそれを許さなかった。
許さないままにその細川忠利は死に、やがて家中は阿部を臆病者、恩知らず、と陰口を叩くようになるので、忠義一徹の彌一右衛門は、一族を集め、その目の前で腹を切ってみせる。しかしこれが波紋を呼ぶことになり、けっきょく阿部家は、殉死した武士の扱いとは異なる、どちらかというと「処分」が行われ、それに不満を見せた長男の権兵衛は、縛り首の目に遭う。
残った阿部家の者たちは、老人、女、子どもを殺して屋敷に籠城し、これを穏やかならぬとして新しい藩主の光尚が討手を出す。
最終的には、阿部一族はすべて討たれるのだが、阿部家の隣家の柄本又七郎という者がこの話に少し関わってくる。この又七郎という男は、もともと阿部家とは仲が良かったのだが、誅伐令が出た以上は武士のこと、阿部家へと入って存分な働きを行う。
物語は、はじめ阿部一族に対してスポットライトが当たっているようにも思うのだが、そういうわけでもないようで、阿部家が討たれたあとも、物語は討伐に勲功のあった者たちに対する沙汰をわりあい淡々と記しつづける。
そして最後の部分。

阿部一族の死骸は井手の口に引き出して、吟味せられた。白川で一人一人の創を洗つて見た時、柄本又七郎の槍に胸板を衝き拔かれた彌五兵衞の創は、誰の受けた創よりも立派であつたので、又七郎はいよいよ*2面目を施した。

これで、ぶつりという感じで終ってしまう。全体で短い話なのだが、ちっともウェットではないのである。殉死だとか忠義を尽くすだとか武士の面目だとか、扱っている事象は、膨らませればいくらでもウェットになりうるのに、そうはしていない。カメラで言えばむしろ引き気味な、全体をなるべく等しくとらえるような撮影法で、登場人物たちを映している。
だからといって血が通っていないという感じもない。一見、無機質なようにも映るが、とらえどころがしっかりとしているせいで、きちんとした感動を読者に与える。文語も相俟って、簡にして要を得ているのだろう。


鴎外のような文章を書こうとか、書きたいとか思ってたわけではない。ただ、こういう文体があるのだと思い知らされたのである。
たまたま先日購入したマンガ(?)が、わりと鴎外『阿部一族』に近い「文体」を持っていて感嘆し、また、わが本棚にずっとあったことをこれまで知らずにいた色川武大『怪しい来客簿』にも、同様の突き放したような文体を見つけ、震えるような思いをした。
色川には、やはり戦争という凄まじい体験があり、前者のマンガ家も、現代においてはかなり強烈な体験をしている。ふたりの文体には、おそらくそれぞれの体験が色濃く影を落としているのだという気がする。
反対に言えば、なにか特別な体験に根ざしたものではない諦観は、ある種のポーズにしか過ぎないし、僕はたぶん、後期村上春樹の文体には、そういう表層的な感傷をしか感じていないのだと思う。戦争が終って三十数年経ったからこそ生まれてきたものが、既に三十年もつづいていて、それが暇と時間を持て余した人間のただの懐古趣味でなければいいのだけれど、と思う。

で、僕の話だけれど、なんとなくやっぱりつまらないものを感じていて、こういう文章を書いていても一番たのしいのは、引用するために原文の前後を読んだりすることで、とりあえず読んだことを記録するためにだらんだらんと書いているのだなあ、と口から涎を垂らしながらタイプしている。
と、特別にオチもなく終わろうと思うのだけれど、上で言及したマンガについては、やはり『怪しい来客簿』と絡めて、ちかぢか書きたいな。とりあえず今日は、これを「公開」するところまで。

なお、昭和十四年の『阿部一族』には、まだ青いオビもついていて、その裏部分には、どこかの野原で石に腰掛けて本を読む兵士たちのイラストとともに、以下の文章があった。

慰問袋に
岩 波 文 庫!

*1:史実と異なる部分もややあるようだけれど。

*2:原文は、「くの字点」を用いている。

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前の記事にいただいたきなこさんのコメントへの返信が例の通り長くなったので、記事にしました。

何年か前のノーベル文学賞を受賞したバルガス・リョサが、たしか『若い小説家に宛てた手紙』のどこかで「文学とは世界への抵抗である」と書いていたように記憶しています(ところが、その文句をいざ探してみるとなかなか見つからなくて困っています)。
文学に限らず、高尚なところでいえば藝術表現、そこからぐっと裾野を広げて、日常生活における些細な自己表現に至るまで、自分たちを囲む「世界」に対してなにがしかの抗いをする、ということに僕は非常に大きな意味を感じていて、そういう行動をする人たちにとてもシンパシーを感じますし、尊敬します。
「抵抗」というのは、ただ「NO」を言えばいいと思っているだけの単なる「反体制」ということではなく、世界中が「いいね!」で埋め尽くされていく欺瞞に屈しない、とそういうことだと考えています。

政治的でなくても、宗教的でなくても、文学的でなくても構わないから、他人の文章で、そういう不屈の精神が感じられるものに、僕は「引っかかり」を感じています。
だから、「世の中はなんてよろこびに満ちているのだろう、このよろこびは昨日までもずっとあったし、これからもずっとあるのだろう」というような100% ポジティブ思考の人の文章は、とてもじゃないが読めません。そういう人の人格までを否定するつもりはありませんが、面白味をまったく感じないのです。

ただ、おっしゃるように、「引っかけるはずの自分の心が襞のないつるつる」という可能性がある、ということは自覚すべきなんでしょうね。また、キャッチできる器はあるのに、たまたま一時的にアンテナの感度が鈍かったりすることもあるのでしょう。

その言葉で、最近はてなスペースで教えてもらった、玉置浩二の『西棟午前六時半』という曲を思い出しました。
僕にとっての玉置浩二は、最近とくに奇矯な行動で目立つ変人という印象でしたが、どうやら統合失調症を患っているようで、上に挙げたのは、病気で苦しんでいるときの歌のようです(ただし、ネット上には確たるソースは見つかりませんでした)。作詞は彼ではないのですが、インタビューなどに基いて創作したのかもしれません。

グーテンモーガンおはよう ゲンさんがつぶやく
トタン屋根の上で スズメたちの合唱
元気なかけ声で ラジオ体操始まる
露に濡れた 朝顔と話すマモル はしゃいでる

西棟午前六時半
洗面器 はじける太陽
いつかあの海へ
舟を漕ぎ出そう
舟を いいね きっと

アルマイトの食器に ロールパンふたつ
そして赤や黄色の 山盛りの錠剤
おたまじゃくしの行軍 駐車場の水たまり
想い出の丘には猫を追いかける 裸足の友達が遊んでる

西棟午前六時半
いつまでここに いるのだろうか
欠けた心のまま
欠けた体のまま
それでも楽しそうに笑う朝

西棟午前六時半
洗面器 はじける太陽
いつかあの海へ
舟を漕ぎ出そう
だから だから もっと

唄っているのは、玉置というよりは、当時奥さんだった薬師丸ひろ子がメインなのですが、たとえこの歌詞がすべて真実ではなかったとしても、僕にとっては「歌のうまい変人」の玉置がこういう気持ちおよび状態に陥ったことが少しでもあった(かもしれない)ということに、人間は本当に外観上ではなにもわからないなあと頭を殴られたような気持ちになりました。
そんなこと傍からじゃわからないもんなあと自分に言い訳したくなるのですが、そういう「見過ごし」なり「無関心」なりの可能性はつねにある、ということくらいは銘記しておいた方がいいのだろうと感じました。……なんか話が壮大になりすぎかも。

話を大本に戻すと、他人の文章を読んでいるときは、(もう何度も書いた気がしますが)咀嚼の部分が重要で、たのしみなんだと思います。ですから、きなこさんの「牛の反芻」のような読み方はすばらしいのではないかとずぶん(と勇気を出して遣ってみました。一部の人だけ苦笑。わかるやつだけわかればいい)は思うのです。

編集

前々から書いていることだけれど、本格的に他人*1の文章が読めなくなっている。
ブログをきちんと書いている人って、その多くがきちんと他人の文章を読める人って気がする。これはなにも世辞を言っているわけではなくて、本当のこと。文章って、読まない限りはまず書けないから。

ちょっと脱線。
言っちゃ悪いけれど、トンチンカンなコメントをしてくる人って、まず圧倒的な誤読をしていることが多い。一番ひどいのは単語レベルの誤解で「まず辞書引いてみ」って言いたくなるときがあるほど。そこまでいかなくても、全体的な文意を読めない人ってのは実に多い。
こういうことを書くときは、「僕の文章もひどいものですが……」的な言い訳をそっと差し出しておくのが無難なやり方かもしれないけれど、そこまで卑下するこたぁないからなあ。いちおう読めるようにはしてあるっていう自負くらいはありますよ。ただ、読む能力も不十分なくせに、ましてや、世にあるブログ記事はすべてバカ丁寧に一見のそいつにもわかりやすく書かれている、と想定して疑わない人間もいるから、そういう場合はもうどうしようもない。
そういう人たちって、たぶん文章を読むことに慣れていないんだろうな、と思う。
だから彼らが書くコメントっていうのは、「てにをは」の誤用が目立ったり、また、主語が不明瞭ということが多い。内容以前の問題になってしまうので、コメントで反撃する側としては、そこをあげつらって終わらすことができるのでまあラクっちゃラクです。脱線終わり。

ところが僕は、他人の文章を読むのがものすごく苦手だ。遅い。遅すぎるってくらいに遅くて、ブログの記事でも、二週間くらい遅れて読んだりしている。
遅くても読めればいいのだけれど、たいていは挫折することの方が多い。今日は読めないなあ、とか。
これが小説なんかだと話は違ってきて、特段早いわけでもないが、普通程度には目を通せる(種類にもよるが)。
なぜか、と考えてみると、いくつか理由があるような気がしてきた。

疲れているから

真夏のときはそういう理由がたしかにあった。日中、「灼熱の太陽」という陳腐な表現がそれなりのリアリティをもって空中高く君臨していたものだから、その真下で少しでもうろちょろしていれば、そりゃ帰ってきてなにかをしようという気にはなれなかった。せいぜい、自分がブログを書くくらいで。
でも、最近は少しだけ余裕が出てきてのだけれども。

ブルーライトのせい

PC のモニタからブルーライトが出ているとか出ていないとかで、なんかそのせいで目が疲れるのかな。これをネタにラジオでは「ブルーベリーをふんだんに使ったサプリメント!」がよく宣伝されている。これをカットする眼鏡とかどうなんでしょうね。

フリーメイソンのせい

八月の頭に、地域の草刈りに参加し、それが終ったあと、草刈機を燃やすことなく近所の人たちと雑談をしていたのだが、その中にわりと最近に引っ越して来た人も混じっていた。彼とは挨拶を交わす程度の面識はあったものの、ヒッピー風の相貌が僕にはなんとなく気にかかっていたのでこれまでは敬遠していたのだが、にこにこしていて悪い人のようには見えない。
「こんにちは」「あ、こんにちは」「どうですか、お仕事は?」「まあ、ぼちぼちですね」と当たり障りのないジャブの応酬のあと、彼はなんの気なしに言った。
「きょう、ガスってますよね?」
ああ、そう言われれば、晴れてはいるもののなんとなく靄がかっているような感じもあるなあ。「そうですね」
「これ、なんでか知ってます?」
「……なんで? このもやもやしている理由ですか?」
「はい」
僕はPM2.5のことがパッと頭に思い浮かんだが、それを口にはしなかった。こういうときは、たいてい相手に「答えを教えさせる」方がなにかとよいということを経験的に知っているからだ。「わかりません」
「これね、ジェット機で農薬を撒いているんですよ」
「! ……農薬?」
「はい」と彼はまじめな顔で言うと、空を見上げ、顔を顰めた。「ほんと、エゲツナイですよ」
ワオ!
SF でパラレルワールドって概念があるけれど、きっとこの目の前にいる人は別の平行世界の住人で、僕が草刈機の刃で公園の雑草を切っていると思っていたら、間違えて次元の歪みまで切ってしまっていて、それで彼が僕の前に現出したのだろう、と0.04秒で納得することができた。彼の世界では、毎日ジェット機が空を飛ぶのは農薬を撒布するためで、そうするからには広い農場があるのだろう。僕らの住んでいるところは山間で狭く小さい畑や田があるだけなのだから、ここは、彼の世界とは違うのだ。
そんなことに思いを巡らせている僕に、彼はつづけて言った。「この夏がこんなに暑いのも気象兵器のせいですよ、きっと!」
気象兵器! そんなものがあるのか。いや、彼の世界にはきっとあるのだ。彼の世界の空には、農薬を大量に搭載したジェット機のほかにその気象兵器とやらが飛び交っているのだ。
それから僕は、あの大地震を起こしたのが某国の地下核爆発実験によるものだとか、フリーメイソンによる裏側からの世界支配とか、そういう話を聴いたような気もするし聴かなかったような気もするけれど、帰ってきてからどっと疲れてしまい、それ以来、他人の文章がより読めなくなった気がする。

(心の中で)声に出して読んでいるから

文章の速読の基本のひとつに、(心の中でも)音読しないというのがあるそうで、これは「ためしてガッテン」でもやっていたように記憶しているけれど、でも、どうなんだろうなあと思う。
新聞なんかにさっと目を通すときはそんなのでもいいような気がするけれど、きちんとした文章って、たぶん句読点にまで心を配っているはずで、それをきちんと味わうためには、やっぱり音読した方がいいんだけどね。中国文学者の駒田信二がどこかで書いていたことのうろ覚えだけれど、音読してきちんと淀まずに読めるような文章を「文章」と呼ぶべき、というのがあった。だから句読点は非常に重要である、という論旨。
僕もそんなふうに考えているし、実際に書くときは、心で読み上げながら書いて、ある程度完成すると、また音読して、「あれ、ここおかしいな?」というところを修正するようにしている。だから、音読はやめられないなあ。

モニタの字が読みづらいから

これは絶対あると思う。やっぱりモニタ上の文字を読むというのは本に比べたら全然ラクじゃない。なんだかその効率の悪さが半年前くらいにネットで話題になっていたような気がするけれど、その文章も読めなかったよ。

たぶん、本当は

他人のブログに限って言えば、パパパッと読めないのは、引っかかることが多いからで、まあ、その引っかかりがあるから読んでいるという部分があって、引っかからない文章は読まない。
引っかかり、はたいてい僕の心の中にいったん沈み込むから、それを咀嚼するのに時間がかかる。消化しきれないことさえある。
そういうのをあえて引っかからずに読むには、きっと気持ちにふたをしたり、想像力をわざと押さえつければいいのだろうけれど、僕はなかなかそういうことができない。向き不向き、得意不得意の話だと思う。
でも、同じような読み方をしている人がいたら、ちょっと嬉しい。

*1:と書いているとき、たいてい「ひと」の読みを期待している。

編集

きのうの朝、ラジオ番組にフォーク・クルセダーズきたやまおさむが出演していて、「AKB48 なんて、あいつらどこ向いて歌ってんだ」と苦言を呈していた。「どこ向いて」とは、つまり実際の人間に向けて作られた歌を唄っているのか、ということ。そういうきたやまは、『あの素晴らしい愛をもう一度』を唄っているときには本当に愛の素晴らしさを唄っていたんだ、われわれはそういう世代なんですということを言っていて、なるほどなあと思った。
AKB48の音楽を作っているのは、ヨカラヌオトナタチであって、あの女の子たちはおそらくなにも頭に思い浮かべずに唄っていて、それはファンだったらわかっていることだし、AKB に熱を上げている連中はそんなことは百どころか万も億も承知だと思うのだが、それとは別に、きたやまの言ったようなこと、つまり「愛について唄っているときは、本当に愛について考えているんだ」という姿勢は、なんというか素敵だ。

素敵、と書いたが、本当は当たり前のことのようにも思うし、それは文章を書いていてもきっと同じことなのだろう。
どこか絵空事の文章を書く人がいる。ああそうなんだろうけれどもね、と僕なんかは思ってしまう。もうちょっとだけ本心が出てくればな、と僕は添削するような気持ちで読んでしまう。いや、たぶん終いまで読みきれないと思う。そういう文章はどこまで行っても美辞麗句が並ぶだけで、生意気なことを言えば、その行き着くところ、つまり結末なりオチなりは途中でだいたい読めてしまうのだ。
「絵空事」は、なにもポジティブなものだけではない。ネガティブな内容で成立させることも可能だ。いかにおれ/わたしは辛いのか、苦しいのか。それをどこかで聞いたような言葉で書いても、読み手にはなかなか伝わらない。ちょっとでも文章に触れたことのある人間なら、「あ、テンプレートに乗せて書いているな」というのがわかってしまう。無論、そうと意識して文章をテンプレ化している人は少ないだろう。けれども、結果は一緒。そして、テンプレ化した文章の行き着く先は、テンプレ化した思考のだらしのない表明で終わってしまうだけだ。「ひとりはさみしい」とか「ふたりはたのしい」とか。

たとえば、野田秀樹『半神』では、サリドマイド児の女の子が主人公で、彼女はもうひとりの姉妹とつねに一緒であることに苦痛を感じており、天地真理『ひとりじゃないの』の音楽が多少ユーモラスにかかった後、「ひとりじゃなくないってことは、もっと素敵よ」という台詞を役者に言わせている。


2:25あたりから見るとわかりやすく、3:40あたりに件の台詞が

みんなの書いたり口にしたりする文章が、すべてこんなふうに逆説的で劇的で詩的であったならば、たぶん僕たちは今とは全然違う世界を生きていると思うのだが、まあそんなことはなく、テンプレートがたくさん用意された予定調和の世界があるだけ。あるだけ、なのだが、でもそこにクサビを打ちたいじゃないか。
そのクサビが、ある人にとっては文章だったり、またある人にとっては音楽だったり、絵を描くことだったりするのだと思う。

自分の文章をテンプレートにハメ込まないためには、つねに、自分の書いた言葉をチェックしていくことが重要だ。いま、モニターに表示された言葉は、本当に自分の書きたいことなのか。もしかしたら、鼻歌を唄うように指先が勝手にタイプしてしまった言葉じゃないのか。
自分の文章に甘くなってしまってはいけない。自分の文章をいったん自分から突き放し、数秒前、あるいは数分前の自分を、冷たく見つめる。そういう冷たさを持たなければいけない。そうすれば、自分の文章に陶酔することもなくなる。自分の考えに陶酔することもなくなるということだ。
……なんてことを考えていて、その一方で、「不特定多数の他人の視線にさらされている」ということを意識してしまうと、「気にしない」ということを選択するより、「気にしないで済む環境にした方がええんじゃないか。そうだ、そうだそうだ。ええじゃないかええじゃないか」と思い、一気に前のブログを閉じ(ようとし)た、という経緯があるんだけど、それはいくつかある理由のひとつに過ぎないし、もう過去のことはええじゃないか、という思いもありマスク(©広川太一郎)。

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