とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: 小説

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終戦から七十年だからというわけではないが、八月六日だったから原民喜の『夏の花』(岩波文庫)を読んだ。

高校のときに教科書で読んだ記憶があったが、ある部分を除いてほとんど印象を持っていなかった。もしかしたら教科書には、ただでさえ短い小説(二十四ページ)の一部分しか掲載していなかったのかもしれない。
あらかじめ書いておくと、僕の記憶していた部分というのは以下。爆弾が投下され、なにがなにやらわからない状態で主人公が逃げ出したところ、
川岸に出る藪のところで、私は学徒の一塊りと出逢った。工場から逃げ出した彼女たちは一ように軽い負傷をしていたが、いま眼の前に出現した出来事の新鮮さに戦(おのの)きながら、かえって元気そうに喋り合っていた。
(14p)
原爆が投下された直後なのに「元気そうに喋り合っていた」ということに驚いた。それまで僕の知っていた原爆の話といえば『はだしのゲン』しかなく、あの物語ではとてもじゃないがそんな余裕のある登場人物は出てこなかったのだから、それゆえに明瞭に記憶されたのだと思う。

さて、ヘンな言い方になってしまうが、この小説を小説として読むととても奇妙な感覚を味わうと思う。
作者と思われる「私」はいるし、情景描写もあるが、なんとなく(構成という意味での)結構というものがないのである。現実がめちゃくちゃでひどいものだったから起承転結があるわけがない、という理窟はよくわかる。わかるが、それだとしても、ちょっと整っていなさすぎなのである。その証拠にこの「小説」の最後は、それまで一度も登場しなかったNという人物が妻の死体を探しているという描写が一ページとちょっとつづき、そこで唐突に終わる。

(内容に感じたものとは別の)妙に落ち着かない気持ちを感じながら解説を読んでみると、この文章が書かれたのは、1945年の秋だということがわかった。その後いくらかの変遷や修正はあったのだろうが、たぶん基本部分はそのあたりですでに完成していたのだと思う。
その記憶の生々しさが、たぶん未整理な印象を与えるのだろう。被爆時に当然感じたであろう絶望的な苦しみも、読了後の印象としては、はっきりと書かれてはいなかった。どう感じたらいいのか、作者自身が戸惑っているようにも思えた。
作中、次兄がその息子の遺体を見つける場面がある。そこに慟哭は描かれていない。淡々と死体の描写がつづき、ただ、「涙も乾きはてた遭遇であった」と書かれているのみだった。

この作品を読み終えて十日ほど経ったいま思い返してみると、音の印象がない。静寂ということではない。物が燃え崩れ、死に際した人々が泣き叫ぶ場面は出てくる。けれども、それを描いている作者に実際に「音」は聞えていなかったのではないか。もうちょっと正確に言えば、「音」を現実のものとして認識することができなかったのではないか、と思えるのである。
たぶん、目の前で起こっていることのすべてに現実感が追いついていなかったのではないか。


この「体験」を読むことによって、僕はたぶん七十年前のヒロシマに少しは近づくことができたのだと思う。けれども、(いつも書いているように)事実と僕とのあいだには大きな深淵が横たわっている。そこを飛び越えることは一生できない。
だからといって、もう無視はできない。少しのあいだ忘れることはできるかもしれないが、まったく忘れ去ることはできない事実。率直に言ってしまえば、その存在が不快ですらある事実。それを「体験」した人がいる/いたという事実。

8/4にイギリスのBBCが「ヒロシマ原爆投下の『都合のよい物語』」と題して原爆に関するコラムを出した。記事はすべて英文だが、辞書と首っ引きで読んでみると、多くのアメリカ人には、原爆投下は正当なものであり、それによって(戦争をつづけていたら起こったであろう)日米双方の数十万の死者を救ったことになると理解されているらしい。ひどい火傷を負った被爆者のひとりが数十年後、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ号の除幕式を見に行ったとき、多くのアメリカ人に、「おめでとう、あなたは原爆があったから生きてここに来られたんですよ」と言われたという。原爆のおかげで、ハラキリをせずに済んだと。
同記事は、原爆以外の無差別爆撃についても言及している。ナチスのゲルニカ・ロンドンへの爆撃、イギリスのドレスデンへの爆撃、日本の重慶への爆撃。しかしその中でも原爆ほどひどいものはなかった、とBBCは書く。
僕は少し冷静になる。どのような「小規模」の爆撃であっても、そこで傷つき、死に、家族や家を失った人たちにとっては、「これほどひどい行為は世の中にない」と恨むであろうと思った。死者の数の多寡の差は、個人が気にすべき範疇ではない。それは国家であったり歴史家たちが扱えばいい問題であって、個人は、戦争によって生み出されるいちいちの惨禍を忌み嫌わなければいけないのだ。

しかしそれでもなお、原爆は許されざる兵器である。8/6のニュースで取材を受けていた九十代の被爆者は、「まだあの日のまま」ということを訴えていた。別のニュースでは、生前の被爆者をインタビューした映像が流されていた。その人は涙を浮かべながら、「あのときの広島は、原爆資料館にあるような生やさしいものではなかった」と言っていた。
同日、朝のラジオ番組では張本勲のインタビューが流されていた(この音源はABCラジオで期間限定で公開されていたが、現在は削除されてしまっている)。 
僕はこの放送があるまで、張本のおっさんというのは頭の硬い守旧派のクソオヤジという印象しか持っておらず、被爆体験者であることはまったく知らなかった。
自慢のお姉さんを被爆で亡くし、差別を怖れたために自身の体験をそれまでいっさい秘していたという。現役時代も、健康診断でいつ「原爆病」に認定されるかと怯え、誰にも相談できなかった、と。
晩年になってその考えが少し変わり手記を書いて、そのなかに「8月6日と9日はカレンダーのなかから消えてほしい」と書いた。それを読んだ小学6年生の女の子から手紙が届いた。その子は原爆資料館を訪れており、「忘れないためにも、6日と9日は必要だと思います」と訴えた。張本はそれまで資料館の前にまで二回行ったことがあるのだが、怒りと悔しさに震えて二回とも中に入れなかった。けれども、その女の子からの手紙を読んで勇気づけられてもう一度だけ訪れてみて、今度は中に入ってすべてを見学することができたという。
それ以降、自分たちの世代が原爆の悲惨さを直接伝えられる最後のメッセンジャーだということを意識して発言をつづけている。

彼のなかではアメリカに対して恨みもあるのだろうけれど、けれどもこのインタビューのなかでは、戦争や核は人間の所業ではないとはっきりと強く主張していた。どんなに話し合いが長引いてもいいんだ、戦争はしてはいけない、と。
こういうインタビューを聴くと、つくづく人間というのは外から見える部分だけではほんとうになにもわからないものだと、自分を羞じた。ある人が、張本はメジャーリーグを日本のプロ野球より低く見ているけれどそれはおかしいと批判していたが、そう思うのは仕方ないと思う。そう思いたくなって当然だと思う。スポーツの優劣を競争できるという幸福を彼以上に知っている人間は、少なくとも彼より若い世代にはいないと思う。

NHKの原爆についての世論調査で、原爆が投下された日付を答えられない日本人が全国で75%近くがいたということが報告されている。また、それ以上に気になったのは、アメリカの原爆投下を現在の日本ではどうとらえられているか、ということをあらわす数字。
原爆投下についての世論調査
上掲画像のとおり、「やむを得なかった」と答えた人が四割近くいたということで、しかも被爆地でも同程度の数字だったいうことに少なくない衝撃を受けた。
僕は報復に意味があるとは思えないけれど(というより、際限がなくなってしまうことを怖れる、といったほうが実感に近い)、それでも、許せるような問題なのだろうか、と思う。
これよりあとの質問で、「自分も身近な人も被爆していない」と答えた人が、広島市で42.4%、長崎市で32.8%、全国では83.7%もいるということだから、被爆地であるか否かに関わらず、「体験」が遠ければ実感も湧かないという「人のものごとへの感じ方」をこの調査は伝えている。

ここで僕の個人的体験を書いておくと、四歳くらいのときに、はじめて母に映画に連れて行ってくれると約束されて喜んで観に行ったのが『はだしのゲン』のアニメで、上映中に怖くて泣きだして映画館を出たことを憶えている。
以来、原爆の怖ろしさというのは過剰なまでに記憶に刻み込まれてしまい、中学生くらいまでは夜寝るときなど、いつか世界が簡単に吹き飛ばされてしまう日が来るだろうという恐怖にとらわれ、なかなか眠ることができない日などもあった。

原民喜の小説を読んでも、この小説をどういう視点で読むかによって意味合いがまったく変わってくる。核兵器とか原爆とか戦争という単語を、ある種の観念的な用語として扱えてしまうような人間は、読もうが読むまいが感じることはあまりないのではないか。
ちょうどこの小説を読んでいたあたりで、終戦の「聖断」がくだされた非常に重要な場所としての皇居内の御文庫付属室が公開された、というニュースを見て、「聖断」の「聖」の文字に対して怒りが湧いた。もちろんこれは、現在においては「竜顔を拝する」といった類の過去の表現の一種でしかないわけだが、過去の戦争を、その「聖」の側に立って見るのか、あるいは、わけもわからずある日一瞬にしてすべてを焼きつくされた人たちの側に立ってみるのか、で得られるリアリティはまったく異なってくる。
たとえば兵站を論じるときも、兵站線を描く指揮官の立場でそれをとらえるのか、あるいは、汗水流して身の危険に怯えながら実際に物資や食糧を移動させる一兵卒の立場でそれをとらえるのか、と問えば、世の中のたいていの「語りたがり屋」たちは、前者のつもりで口角泡を飛ばすのであろう。
上に書いた、「観念的な用語として扱えてしまうような人間」とは、そういう人たちのことを指しているつもりだ。

張本勲のインタビューで、以下の言葉がとても印象に残ったので引用しておく。広島で被爆し亡くなった人たちについて。
あの人たちは犠牲じゃないんですよ。身代わりだから。他人じゃないの。どっかで繋がっているんだ。親族じゃなくても、友だち、友人、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、どこかで繋がっているんだ。別な県の人でも、(別な)市の人でも、どこかで繋がっているんですよ。わたくしどもの身代わりだから。ひょっとしたらわたしたちがその方たちになったんじゃないかと思うとね……
犠牲じゃなくて身代わり、という彼の発言には、「誰でもありえたのだ」という実感が込められているのだろう。すべてを他人事のようにとらえ考えれば、世の中で怖いものなどなにもなくなる。自身が不測の事態に巻き込まれてしまう直前までは。

戦争への抑止力はなによりも恐怖であると思う。嫌悪感よりも、恐怖。それが自分の身に起こる可能性があれば、人間は回避する策を講じようとするはずだ。しかしいまの日本では、その恐怖をバカにする傾向が見られる。
知識を得る段でも、つねに支配者・指導者の視点に立とうとするものだから、殴られ、蹴られ、犯され、殺された側の人間の気持ちを測ることができない。測ろうともしない。ゲーム的感覚のもたらす万能感の弊害だとも思う。
戦争で犠牲になるのはつねに弱者からであって、僕は自分が間違いなくそちら側にいると思っているので、当然戦争には反対する。バカな政治家がそういう若い人たちの態度を自己中心的だと批判したそうだが、そう言っているやつらこそが、大好きなニッポンの危急存亡のときでさえ1ミリたりとも腰を上げるつもりがないであろう、ということについては批難する余地があるはずだ。


最後に。
解説で知ったのだが、原民喜は1951年(昭和二十六年)に自死している。もともとその妻が原爆投下以前に亡くなっており、その頃から、死別後、一年だけは生きるという考えだったようで、反対にいえば、一年後には自殺するつもりだったのだろう。
原爆の体験は、「このことを書き残さなければいけない」と彼をして思わしめたようで、一連の作品を書き上げたのち、自身の仕事に一段落を認めて死んだのかもしれない。
『夏の花』では、負傷した兵士に肩を貸してお湯を飲ませてやろうとする場面が出てくる。
苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでいたが、ふと、「死んだほうがましさ」と吐き棄てるように呟いた。私も暗然として肯き、言葉は出なかった。愚劣なものに対する、やりきれない憤りが、この時我々を無言で結びつけているようであった。
(19p) 
原民喜はおそらく自ら命を断つ日まで、この「やりきれない憤り」を抱きつづけたのだろうし、また、他のすべての被爆者たちも、やはりあの日からずっと抱えつづけているのだと思う。

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カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)を読んだ。
イシグロの作品を読んだのは『日の名残り』『遠い山なみの光』につづいて三作目。『遠い~』はほとんど印象に残っていないのだが、『日の名残り』については、(少いながらも)僕の読書体験のなかで最上に属するものだったと記憶している。
ついでに書いておけば、『日の名残り』は土屋政雄による翻訳が非常にすばらしかった。 
ここ数日来、頭から離れなかった旅行の件が、どうやら、しだいに現実のものとなっていくようです。ファラディ様のあの立派なフォードをお借りして、私が一人旅をする――もし実現すれば、私はイギリスで最もすばらしい田園風景の中を西へ向 かい、ひょっとしたら五、六日も、ダーリントン・ホールを離れることになるかもしれません。
(ハヤカワeip文庫 9p) 
上記は『日の名残り』の冒頭部分だが、ここから始まる主人公の執事スティーブンスの思い出ばなしは、(翻訳物に対して少し身構えてしまう僕にしては珍しく)非常にすらすらと入ってきて、自然な日本語としてまったくつかえることなく読み終えることができた。これは僕だけの体験かと思ったのだが、母や、僕などよりもっと翻訳ものに接しているはずの弟に尋ねても同じ感想を抱いたらしく、これと指摘することはできなかったのだが「やはりすばらしい翻訳である」と決め込んでいた。
今回、『わたしを離さないで』を読んでいる途中たまたま調べることがあってあるサイトに行き着いた。
このなかにある、「翻訳というより、土屋政雄が日本語で書いた小説なのではないか」というセンテンスに共感を抱いたと同時に、同批評のいちいちにより、なるほど土屋政雄の翻訳は「圧倒的な日本語力」によって成り立っているということを知ることができた。
その土屋政雄が、『わたしを離さないで』を翻訳している。


といっても、この小説の感想を書くのは難しい。
基本的に僕は、ブログで感想を書く際にいわゆる「ネタバレ」を避けるようにしている。それは、たまたまなにも知らないで読んだ人が知らないですませたかった結末や重要なプロットなどを知ってしまうことを避けるためである。
そういう意味で『わたしを~』の感想は書くことが難しいのだが、核心に触れないようにやんわりとぼやけさせながら書いてみることにする。

まず、この小説は軽度の仮想世界が舞台となっている。この世界の社会構造は、物語の背景として非常に重要な設定となっているのだが、便宜上、本記事ではこれを括弧つきの<システム>と呼ぶこととする(小説内ではこのような呼び方はいっさいなされない)。また、主人公のキャシー・Hたちはこの<システム>のなかでこれまた非常に重要な役割を担わされているのだが、これを括弧つきの<ロール>と呼ぶこととする。もちろんこの<システム>と<ロール>の詳細についてはここでは記さないでおく。
この<システム>と<ロール>は、はじめから明かされているわけではない。物語の四分の一ほど進んではじめて明瞭になってくるのだが、それより以前からも、ヒントのようなものが少しづつちらつかされ、なんとなくは予測がつくようになっている。つまり、この<システム>や<ロール>の実態が判明していくことそのものがこの小説の主眼ではないということなのだが、それについては、後述する。

物語は、ヒロインのキャシーの一人称によって、ヘールシャムという施設での幼年時代から語られていくのだが、この「語り方」が非常にうまくできている。というのもその語りは、おおまかにいえば過去から未来に直線的に進むものの、ときおり想起された記憶を挿入するべく「現在」あるいは「近過去」に戻ってくる、という形をとる。そのために読み手も、あるひとつの物語の筋を単調に追っていくというよりは、キャシーの記憶に一緒に沿うような形で過去と現在を行き来するような体験をすることになり、結果、時間的な重層感を得ている。
そしてまたその語りは、いわば霧の向こうにある<システム>や<ロール>の輪郭が明らかになるのを少しでも遅らせるよう、焦らしに焦らす役割も果たしている。

<システム>や<ロール>に関わりのないところでいえば――前述したとおり、それはあらかじめこの世界に組み込まれてしまっているものなので「関わりのない」ところなどあるわけがないのだが――、キャシーは、幼年時代あるいは青年時代にありがちな人と人とのコミュニケーションの様々な場面を語る。たとえば幼年時代のはじめには、キャシーは親友のルースという女の子と一緒に、トミーという男の子が他の男子連中にいじめられ・からかわれるのを遠くから眺めている情景が描かれる。トミーの癇性を知りつつも、そのきれいなポロシャツが泥で汚れることを気にするキャシー。または、いじめられることに同情はしつつもトミーにも原因があると判断するルース。そして、怒りっぽく幼稚だがある意味純真なトミー。けれども、ここから子どもによるいじめの悲惨さ・残酷さが滔々と語られていくわけではない。これらはある意味において、ただの一場面でしかないのである。

はじめは、ふつうの学校であるかのように見えたヘールシャムが、やがてその真の姿をあらわしていく。読者は霧が徐々に晴れていくにしたがって、その奥にあるものをもっとしっかりと見いだせるよう、ページをめくる。
だから、この小説のいちばん表面にあるのはミステリーの形式である。ヒントを手繰り寄せながらもっと奥へと進んでいき、ついには謎の真相を突き止めたいという読者の欲求を、この小説は煽り、そして満足させる。
だからといって、この小説においていちばん重要なのは、キャシーらの負っている<ロール>の残酷さではなく、また、<ロール>を存立せしめる<システム>のあり方について倫理的な判断を問うことではない。これらSF的設定の仮想部分に対する思考実験が最も重要なことであると読むのは、いささか単純すぎるように思う。
もう少し大きくとらえると、この<システム>と<ロール>はひとつの象徴である。それは、よりよい世界と、よりよい世界にするために犠牲になる人々・生きものの暗喩であると僕は思った。
たとえば、医学の進歩には、実験動物の存在が不可欠である。よく大学の研究室が実験動物の慰霊をおこなうなどということを聞いて、「そりゃそうだよねえ」とほっとしてしまうが、ほっとしておそらく想像を止めてしまっている。慰霊してしまえば実験動物は、医療技術の発達に寄与するためだけに産まれ(産まれさせられ)、当事者の望まぬ形で実験されて、やがて死ぬことまで納得するとでもいうかのように。
あるいは、兵器の輸出という問題がある。経済のために国外に兵器を売るという選択をする国民があって、彼らは自国ひいては自身の繁栄のためには仕方がないと考えるが、その兵器の行く末までは考えない。抑止力という考え方を除外すれば、兵器の輸出は「誰かの死」を意味するはずだが、軍需産業の成長を、どこかで誰かの墓標が絶え間なく増えていっていることだと認識する人間は少ないのだろう。
しかしこのように一方的で暴力的で無慈悲な世界においてキャシーたちは、この世界にあらかじめ組み込まれて存在しているためか、その不条理さに傷つくことはあっても、激烈に怒ったり、その仕組みに反抗したり逃げ出すことはなく、淡々と「使命」を果たそうとする。残酷さと純真さとの対照が読んでいるものの心を打ち、震わすことはたしかだ。

しかし同時に僕はこの小説を、もっと単純でもっと普遍的な、人間同士の理解と誤解、別の言い方をするのであれば愛憎についての物語だともとらえている。
この小説に登場する人物のほとんどが、心の底では他人を傷つけることを好んでいないように見える。それは、不条理で厳しい世界だからこそ身につけてしまう優しさなのだろう。けれども読者は、人間の心の底にもうひとつある残酷さもまた見せつけられることにもなる。物語の最後のほうでキャシーを救う側に立っていた人物たちの話す言葉には、本心からの思いやりがあるのも事実だが、しかしその思いやりのちょっと先にある酷薄さといったら!
タイトルに関係のある「わたしを離さないで」という歌と、それにまつわるキャシーの思い出と振る舞いとが、別の人物からはまったく異なるものとして受け止められていたということがわかるとき、人間同士の理解と誤解の対照がひとつの頂点を迎える。
そしてもうひとつのピークが、愛憎のもっとも烈しい人物であるキャシーの親友のルースとのあるシーンに見える(書かないが)。僕は上に「ただの一場面」と書いたが、幼年時代からのその積み重ねによって、ルースの子どもっぽさから来る意地悪さ、辛辣さ、陰湿さ、執着心などが徐々に浮かび上がってくるのを読者は体験する。そしてそれは、キャシーからルースへの、あるいはルースからキャシーへの愛情があるからこそ、余計に複雑な重さをもってキャシーにつきまとうことになる。そしてもちろん、その複雑さはトミーとの関係性にも付随している。
もう一度、「普遍的」という言葉を遣おう。キャシーとルース、それにトミーとの関係は、特殊な世界における特殊なできごとではなく、普遍的なものであり、あまりにも人間的であるがゆえに、いとおしくさえあるのだ。

虐げる者/虐げられる者。強い者/弱い者。愛する者/憎む者。知りたがる者/信じたがる者。そして、新しい世界/古い世界。
この小説のなかには多くの対立構造が出てくるがその描写のやり方はかなり抑制されており、一見、地味である。しかしその静かな手法の奥底には周到に準備された構成が存在しており、その構成はおそらく、二度目以降の読書によって、より豊かに体験できるだろう。
というのも、さきほどぱらぱらとはじめのあたりのページを流し読みした際に、キャシーの人生を追体験≒記憶した僕は文字通りの追憶に浸ることができるのを確認したのだった。この小説をほんとうにたのしむことができるのは、むしろ二度目以降かもしれないとも思った。

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佐藤さとる『豆つぶほどの小さないぬ』(講談社文庫)を読んだ。コロボックルシリーズの第二作である。
詳細を書こうとも思っていないが、この作品の面白いのは、前作と異なり、コロボックルの視点から描かれているという点である(前作の話者は、「せいたかさん」と呼ばれることになる人間)。
そして「あとがき」を読んで驚いたのだが、作者の頭には、この作品のモチーフ(コロボックルが活躍する物語)が先にあったそうだ。しかしそれを成り立たしめるために、まず「小人存在の背景と発見の経緯を、先行して物語る必要がある」(303p)と判断して前作を描き、それから三年後に満を持して本作品を上梓した、という経緯があったらしい。

前作同様、物語の筋に劇的な変化はない。けれども、ちょっとした冒険譚や小さな小さな恋の物語があり、「やさしい世界」にすむコロボックルたちの呼吸が感じられるのも、前作と同じ。
この「やさしい世界」が、絵空事に感じられるか、はたまた作品内リアリティをもって存在するかは、ひとえに作中で遣われている言葉や文章の柔らかさに起因するのではないかと思っている。
もちろんこれらは読者個々人の好みの問題でもあるので、「絶対にこうだ」という基準もないのだが、たとえば、本作の主人公の「風の子」ことクリノヒコ(ぼく)が、仲間のコロボックルたちと一緒にマメイヌという小さな犬を探しだそうと相談しているときの場面。
せいたかさんにもらった地図(人間用なので、微小なコロボックルたちからすれば、巨大な絨毯みたいなサイズになってしまう)の上で、マメイヌのいそうな場所にあたりをつけるのだが、そのときのみんなの意見を、「ぼく」は細かくノートにつけている。「あとになっても、だれがどんなことをいったか、よくわかる」ため。
仲間の、フエフキ、ネコ、ハカセ、サクランボたちとともに、マメイヌの気質、好きな食べ物、行動パターン、罠の仕掛け方を想像し、それらがクリノヒコのノートに書き込まれていく。
(前略)そして、ノートをとじた。
「おもしろくなってきたな」
フエフキは、つぶやきながら、立ちあがった。まどからは、大きなお月さまが見えた。フエフキは、そのまま、スタンドにさがっているスイッチのくさりをひっぱった――というよりぶらさがった。その足にネコとサクランボとぼくがぶらさがった。それでやっとあかりがきえた。
「さあ、みんな。こんどはぼくのふえをきかそうか」
ぼくたちは、拍手をした。
ぼくのノートには、そこまでちゃんと書いてある。

(75p-76p)
この最後の一文の素晴らしさ。

あるいは。
この物語のもうひとりのかわいい主人公、というかヒロインの「おチビ」ことクルミノヒメについては割愛するとして(全部書いてしまえば面白くないから)、人間のほうの「ユビギツネ(マメイヌの別称)使い」の血筋を辿っていってせいたかさんが、事情に詳しい特定郵便局の局長さんの伝手をたよって、ついに、ブラジルに移住してしまった人に手紙を出し、その返事を航空便でもらうくだりで、その返信の最後に、
わたしたちももちろんですが、親たちは、日本からの手紙を、とてもとても喜びます。知りあいも、局長さんの一家と、そこにお世話になっている人だけなので、これからも、ぜひぜひ、たびたびお手紙をください。心からお願いいたします。できましたら、お写真も、送ってください。では、とりあえずお返事まで。
さようなら

(174p) 
と書かれてあるこの切々とした調子に、出版当時(1962年)にはまだ大勢いたであろうブラジル移住者の寂しさ・辛さが込められているように感じる。このブラジルにすんでいる人とのやりとりはこれっきりで、ストーリー上の必然性はそれほどないような気もするのだが(むしろ、ブラジルという国が突然登場する突飛さのほうが目立ってしまっている)、それまで知り合いでもなかった「せいたかさん」に手紙や写真を強く求める様子を描く上で、作者には特別な思いがあったのではないか、と完全に時代の違う読者としての僕は想像するよりほかない。
ともかくも、ゆるふわ語を多用するだけの現代小説のなんちゃらとは一線も二線も劃していると僕は思う。


最後に。
この講談社文庫版では、作家の有川浩が解説を担当していて、そこには、小学校三年生の少女時代(女性だということを初めて知った)、毎晩枕元に、お菓子やミルクにくわえて、「コロボックルさんへ」と題した手紙を置いていたという体験が書かれていた。
あくる朝に、コロボックルの飲み食いした形跡がなくても、「そう簡単に心を開いてくれないであろうこともせいたかさんの手記より推し量れた」とめげずにその「日課」はつづいたという。この他人から見れば実にほほえましいエピソードを有川は、――照れ隠し半分であろうが――「我ながら相当気合の入ったメルヘン脳だった」と自嘲しているが、これはよろしくない。
アマチュアの照れ隠しならわかるのだが、作家は、笑いをとりに行きつつ照れ隠しも行える、などというあざとい計算はしなくてよいと思う。「われながら感受性の豊かな子どもだった」と書け、なんて思わないが、かといって、「メルヘン脳」なんていう低レベルな言葉で自分の子ども時代を笑い飛ばすのは、どうも僕は好きではない。
この作家の作品を読んだことはないのだが、ただ実際にあったエピソードだけを記述して、「結局、コロボックルさんからの返事はありませんでしたが」の一言でさらっと終えるだけでよかったんじゃないか、と思っている。

なお、有川浩は、佐藤さとるの許可を得て、これらのシリーズの続編を書くらしい。
(繰り返しになるが)彼女の作品をまったく知らないのでなんともいえないが、くれぐれも「ああ、余計な続編になったもんだ!」と長年のファンたちが憤慨するようなものにはしないでほしい。
僕も、ゆっくりとこのシリーズを追っかけて行って、最終的には、「お、有川版もけっこういいじゃん。あのときケチつけて申し訳なかったな」くらいの感想を持てればいいなと思っている。


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とあるところで佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』が紹介されていたので、読んだ。面白いので一日で読めた。ただ、この「面白い」には、少しだけ複雑な意味を込めたい。

これは、ある男の子が小山でコロボックルたちと出会い、長い長い時間をかけて仲良くなっていく物語。
一般的な意味での「大きな事件」がそれほどあるわけではない。誰かが殺されたり、その復讐を果たしたり、あるいは魔法によって空を飛んだりすることもない。あるのは、小さな世界のなかでの大事件。小さな小さな人たちの住む小さな小さな世界を守ろう、というのがこの物語の主題。

子ども向けの本としてはそれなりにページ数があるのだが、「大きな事件」がないというのに、いったいなにに紙数が費やされているかというと、それは、コロボックルたちのリアリティを成り立たしめるための描写。
たとえば、コロボックルたちの由来や歴史なんかが(あくまでも主人公の推測という形でだが)わりとしっかりと書かれる。僕なんかからすれば、そこはもう、ただ「小人がいる」だけでいいんじゃないの、などと思ってしまうのだが(かといって、読んでいてだるいということはまったくない)、作者はそうしない。
と、この記事を書こうとして、講談社文庫をなんとなく眺めていたら、カバー裏に「日本初・本格的ファンタジーの傑作」とあって、その「本格的ファンタジー」という文字に、「なるほど!」と腑に落ちるものがあった。
僕のように「そういうものだ」となにも考えずに受け容れてしまうような読者ばかりでは、きっとないのだろう。子ども向け・子どもでも読めるような物語であっても、決して子ども騙しにはしないというのが作者の心にあったのかもしれない。 
このように、「事実」の丁寧な積み上げ方が、コロボックルの存在を絵空事にしていない。輪郭が徐々に浮かび上がってくるのである。
また、コロボックルの<ぼく>との距離の縮め方が、「なにもここまでしなくても」っていうくらいに慎重に時間をかける。ただしこれは、コロボックルの側から見れば当然のことで、この時間のかけ方が、コロボックルと対面した際の感動に繋がっている。
そして、<ぼく>はもうひとりの人間とも時間をかけて知り合うことになっていくのだが、そこはまあ伏せておく。ただ、文庫解説の梨木香歩は過去に何回か読んで、解説を書くために読み直して「純度の高いラヴストーリー」だと感じた、と書いているが、僕は初見でそのように感じられた。たぶん、年齢のせいだろうと思う。

「リアリティ」と上に書いたが、ファンタジーものらしく設定にいくらか曖昧になっている部分がある。その最たるものが、時代だ。
はじめ僕は小学三年生で、鳥もち用のモチノキを探しているうちに、のちに「小人たちの国」があることを知ることになる鬼門山に行き着く。それから数年が経って、その山のある場所から引っ越すことになるのだが、そこで唐突に「戦争」の言葉が出てくる。
いつか日本は、戦争のうずにまきこまれていた。
(53p)
つまりこの物語は、戦前から始まっていたのである。
しかし、戦争についてはほとんど触れずにすぐに「戦後」になり、物語は<ぼく>が「小さな町」に戻ってくるところから再開する。
作者は1928年(昭和三年)生まれ。この本は1959年(昭和三十四年)に自費出版されたというので、作者三十一歳のとき。戦争の記憶はあまりにも生々しく、それに触れたくないという思いは強かっただろうと思う。
であるから、「この物語がいつのことか」というのはごくごく最低限の記述で済ませ、戦後の、<ぼく>や作者自身が解放されていった時代に移っていったのだろう。

ともかくも、この物語を読み終えた読者は、この物語を大切に思うに違いない。ちょうど、<ぼく>がコロボックルたちのことを大切に思ったように。
そしてその思いは、作者自身にもあった。出版(あるいは改版)された時代に応じて四つもある「あとがき」のいちばんはじめ、自費出版から晴れて単行本で出版された折りに書かれたものに、こうある。
(前略)ほんとうのことをいうと、わたしがこの物語で書きたかったのは、コロボックルの紹介だけではないのです。人が、それぞれの心の中に持っている、小さな世界のことなのです。人は、だれでも心の中に、その人だけの世界を持っています。その世界は、他人が外からのぞいたくらいでは、もちろんわかりません。それは、その人だけのものだからです。そういう自分だけの世界を、正しく、明るく、しんぼうづよく育てていくことのとうとさを、わたしは書いてみたかったのです。
自分だけの小さな世界は、たいせつにしなければならないと思います。同時に、他人にもそういう世界があるのだということを、よく知って、できるだけ、大切にしてやらなければならないでしょう。
とにかくわたしは、この物語で、コロボックル小国をえがきだしてみせました。それは、わたしの心の中の小さな世界でもあります。
(279p)
この文章は、講談社によって再文庫化された2010年(平成二十二年)の「あとがき その4」で、八十歳の作者(ちなみにいまでもご健在らしい!)に「ややぎこちない文章ながら、思うことを伝えようと、懸命になっている」とやや冷静に評されている。
「その2」から「その4」までは、「その1」ほどに物語のモチーフは語られていない。三十一歳の作者は、その若さゆえに「ここまでぜひ読みとってほしい!」という思いまでも文章化してしまったのだろう。老齢と呼んでもいい年齢になった作者は、そのことを多少羞ずかしく感じながらも、心の中では「こういうのも悪くない」とも思っているのではないか。

作者のこれほどまでの思いが詰まったものを読んで、読者がなにも感じないわけがない。
それと同時に、<ぼく>がコロボックルたちの世界を尊重するような対象を、はたして僕/私は持っているのだろうかと自問することになる。そして、もしも持っているのなら、それは「共有」したり「公開」するものではなく、自分の心の中に大切に秘めておくべきものだということを再認識することになるだろう。


しかし、ほとんど描かれなかった「戦中」だが、ある記述だけがひっかかった。物語はあくまでも<ぼく>のものだが、ここに書かれているのは作者自身の思いだと僕は考える。
毎日が苦しいことばかりだったが、また底ぬけに楽しかったような気もする。家が焼けたことを、まるで得意になって話しあったり、小型の飛行機に追いまわされて、バリバリうたれたりするのが、おもしろくてたまらなかったりした。これは命がけのおにごっこだったが、なかにはおににつかまってしまう、運のわるい友だちも何人かあった。いまになってみれば、ぞっとする話だ。
(53p)
もちろん力点は「ぞっとする」というところにあるし、またこの直後にも、
大きな不幸がつづいたが、ぼくの家は、郊外にあったため、最後まで焼けなかった。だからそんな思い出のかけら(※小人たちの住む山についての思い出)まで、なくさないですんだのだ。
(54p)
と、ある種のんきとも受け取られかねない「楽しかったような気もする」という感想についての理由づけが書かれている。しかし大事なのは、戦争のさなかにも楽しく感じていた部分はあった、というおそらく作者固有の記憶だろう。
この一文を取り上げて僕は、作者が戦争を肯定しようとしていると批判したいのではない。作者にもそのような気持ちは一片もないだろうと思われる。しかし、子ども心に――子どもだからこそ――まったく楽しくないわけではなかった、と書けるこの作者の正直さを、僕は非常に信頼できると感じた。
あの戦争は悲惨だった、われわれはいつもみじめで悲しい思いをしていた、と書くのはごくあたりまえで、どこからも文句は言われまい(そして本当にそう感じていた人たちも相当数いたはずだ)。しかし、批判される蓋然性の高い記憶を持っていて、その自分の記憶をきちんと正確に書けるというのは、正しい/正しくないことをきちんと書き分けられる人間なのだろう。

冒頭で、この物語を「面白い」と書いた。面白いとはいかにも陳腐な表現だ。けれどももっと実感に寄り添えば、「いいなあ」だったりする。ああ、いいなあ。こんなふうに感じていたり思っていたりしたことが僕にもあったんだよなあ。いや、もしかしたら僕にはなかったのかもしれないけれど、こんな優しい気持ちを持っていたことがかつてあったような気もする、と思えることが、いいんだよなあ。
この本を読んでストーリーを追いかけるということは、その一方で、子どもの頃の自分を追いかけるということなのだ。そういう面白さが、この物語にはある。


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皆川博子はすごい、ということは前から聞いていた。どこかの新聞の書評であの佐藤亜紀が手放しで絶讃していたのだ(といっても佐藤亜紀の作品は実はひとつしか読んでいないが、その一作品だけでも、内容の良し悪しはともかく、嫌味なくらいに頭のいい作家という印象がもたらされた)。そこでいつか読まねばなるまいとは思っていたが、代表作が歴史ものであったり、舞台がヨーロッパなどであったりするようで、なかなか手をつけられずにいた。
それが先日、大阪難波のリニューアルした丸善を訪れた際に、ポプラ文庫の新刊で彼女の名前を見つけたので、これもなにかの縁だと思い、手にとってみた。それがこの『少年十字軍』だ。

十字軍という単語は、世界史をほとんど勉強しなかった僕にとっては少し苦手なキーワードであり、なんとなくイメージがつかみにくい。ましてや、少年十字軍とはなにか。
阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)にその名前が出てきたはずだと思って調べてみると、たしかに以下の記述を見つけた。1212年5月、羊飼いの少年が三万人を率いて巡礼におもむいたのだが、マルセイユから行方不明。一説によればアフリカの沿岸で奴隷として売られたという(149p)。
また、カート・ヴォネガットの代表作のひとつ『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫)にも「子供十字軍」の記述が見られる。そもそも、この『スローターハウス5』のはじまりはとても魅惑的だ。作者のヴォネガットが、自身が兵士として体験した第二次世界大戦中のドレスデン爆撃についての小説を書こうとしているところからはじまるのだ。
彼が戦友のバーナード・V・オヘアの家でその小説の構想について話しているとき、オヘアの妻であるメアリが戦争の小説を書こうとするヴォネガットに対して腹を立てていることに気づく。
メアリの怒りをかきたてているのは戦争だったのだ。彼女は自分の子供はいうまでもなく、ほかのだれの子供たちも戦争で死なせたくはなかった。そして戦争を助長する責任の一端は、本や映画にある、と考えたのだ。
(25p)
そうしてヴォネガットは彼女に、その小説のタイトルを「少年十字軍」とすることを約束する。実際にこの小説の正式なタイトルは、『スローターハウス5 または子供十字軍 死との義務的ダンス』という。
それからオヘアと一緒に子供十字軍について書かれた本を読み始める。ここに書かれてあるのは、阿部の『ハーメルン~』よりやや詳しい。やはり1212年のこと、ふたりの修道士が、フランスとドイツの子どもたちを集め、それを奴隷として北アフリカに売り払うことを画策する。
子供たちの大部分は、マルセーユから船で送りだされ、その半数は船の難破にあって溺死した。残りの半数は北アフリカに着き、そこで売られた。
ふとした連絡のいきちがいから、ジェノヴァに参集した子供たちがいた。そこには奴隷船は待っていなかった。ジェノヴァの善良な市民は食物と寝る場所を提供し、彼らから事情をきいた――そして少額の旅費と多くの忠告を与え、故国へ送りかえした。
「ジェノヴァの善良な人びと、万歳!」と、メアリ・オヘアがいった。
(27p)
これで、僕の「少年十字軍」についての手持ちのカードはもうおしまいだ。あとはなんにも残っていない。つまり、ほとんどなにも知らなかった!

皆川博子の『少年十字軍』は、エティエンヌというやはり羊飼いの少年が主人公のひとりである。このエティエンヌもどうやら実在の人物だったらしいが、上に書いた三万人を率いた人物とはまた別人のようだ。
エティエンヌを「主人公のひとり」と書いたが、この物語は紙数のわりには登場人物が多い。主要なところだけでも、ルー、アンヌ、ジャコブ、フルク、ドミニク、ガブリエル、カドック、レイモン、ベルトラン……。それぞれの立場もさまざまで、羊飼い、孤児、農奴、助修士、修道士、従僕、伯爵の息子、騎士となっている。
彼らは、ある日、大天使ガブリエルに啓示を受けたエティエンヌと一緒に、「乳と蜜が流れる」というエルサレムを目指し、聖地を異教徒から奪還しようとする。

……ここまで書いてきて、次になにを書けばいいのか迷っている。この小説は読者の対象年齢が中学生以上になっていて、事実、中学生でも読めるようになっている。特別むずかしい言葉が出てくるわけでもないし、表面上、難解な思想があるわけでもない。しかしこれは、大人こそが読むべき物語だろう。けっして単純ではないのだ。
たとえばここには、聖なる存在への疑いがつねに描かれている。ある登場人物たちは「神はいない」ということを知っている。奇妙な表現かもしれないが、そう「考えている」のではなく、知っているのだ。神がいないのだから、奇蹟も起きないということを知っている。そして彼らは、エティエンヌがみなの思っているような人智を超えた能力を持ってはいないということを知っている。しかし。

現代では、信仰を持っている人でなければ「神はいない」というのはほぼ前提条件になっているので、僕らも奇蹟は起きないということを知っている。神はいない。奇蹟もない。そんなのはあたりまえのことだ。そう断言したのちに、「それでも……」と思う心が僕などにはある。神も奇蹟もないかもしれないが、奇蹟を期待する心まではなくならない。それもまた信仰の一形態なのかもしれない。
世界のすべてを即物的にとらえたのちにやってくる虚しさ、あるいは反撥心が、なにかを期待させる。ほんとうは、そんなことはないのではないか、と。
だから読者は、物語の最後の最後まで、エティエンヌの一行を注視していくことになる。そして、聖なるものの対極にあるものを見極め、その非情さに息を呑む。残酷な世界にあって、無垢なものたちはただ弱く、ただ滅ぼされていくだけの存在なのだろうか。

最後の最後、エティエンヌがアンヌにささやくセリフを読んでいたとき、僕はまさしく雷に打たれたような衝撃を受けた。身体が震えた。人間は、もしかしたらものすごい存在なのかもしれない。みじめで救いようのない状況においても、いや、それだからこそなのかもしれないが、ほんとうに聖なる存在になりうるのかもしれない。
僕の身体が動いたということは、生理的な部分が揺り動かされたということだ。頭で考えてうんぬん、ではなく、もっと直に打ちのめされてしまった。余談ながら、このような体験ができるからこそ、僕は小説を読んでいる。
いづれにせよ、ここには聖なるものと穢れたものがある。信仰と科学とがある。栄光と虚栄があり、慈愛と残酷さ、尊敬と侮蔑、そして神と悪魔がある。それらのすべてに関わるのが人間である。ここには、人間が書かれてあるのだ。それも、「むかしむかしの物語」ではなく、現代に生きる人間にも通用する物語。
それぞれの主人公たちが、いったいなにを探していたのか。それらのすべてを読み終えたばかりの僕が正確にとらえているとは言いがたい。だからおそらく僕は、これから幾度もこの小説を読み返すと思う。再読、再々読に耐えうる小説であるし、その価値はじゅうぶんにある。

ただひとつ、この小説には難点がある。それが、この表紙だ。
少年十字軍
 
本にカバーをかけないと決めている僕は、電車で角川文庫のあの『ドグラ・マグラ』上下巻を読むことすら厭わなかったが、しかしこれはなかなかキツイ。というより、カバーイラストがこの本の価値をものすごく貶めているように感じられる。このようなごく一部の嗜好に対してしか訴えないイラストをなぜ選んだのか。
もちろん中高生が手に取りやすいだろうという出版社の意図が背景にあるのだろうけれど、しかしそれは反対に、読者を若い人たちに限定してしまうことにはならないだろうか。すでに上に書いたことだが、この本は大人にこそ読まれるべきものだと思う。もっと普遍的で、いつの時代の人間でも手に取れるような装画が望ましかった。改版される際にはぜひ大幅な変更を求めたい。

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クリスティの中でも、おそらくは相当有名な作品。ちょっと前の記事にちらと書いたが、この『オリエント~』、初見なのにトリックをやっぱり知っていた。
おそらく何年か前に母がぽろっとネタバレをしてしまい、「あれ? もしかしてまだ読んだことなかった? ごめーん!」というやりとりがあったのだと思う。
一所懸命忘れようとして、そのやりとりじたいはすっかり忘れていたのだが、本作を読んでいる最中に「あれ……これってもしかして?」と気づいてしまった。

で、「トリックをほとんど重要視しない派」の僕は、三谷幸喜じゃないけれど、「この作品には無理がある!」という感想しか出てこなかった。重要視しないわけだから、トリックについてはどうでもいいのだけれど、筋立ての記述にかかりっきりのせいか、なんだか魅力的なキャラクターがポワロも含めひとりもいなかったし、魅力的な場面もまったくなかったというところに不服を覚えた。

あと、翻訳がまずい。訳者は蕗沢忠枝。
「親密(したし)げ」「困難(むずか)しい」「判明(わか)った」「連想(おも)われる」「脱線(それ)る」「確信(たし)か」「停止(とま)る」 「理解(わか)る」などの必要があるとはとうてい思えない宛字があるかと思えば、「不審」を「不しん」と表記するような片手落ちもいくつか見られた。
 
今年はミステリーの古典もひととおりさらおうと思っている。その点からクリスティで読まねばと思っているのは『アクロイド殺し』で、どこかで誰かが、「クリスティの『アクロイド殺し』を読んでいない人は羨ましい。あの衝撃を味わえる幸せがまだあるということなのだから」というようなことを書いていたが、なぜかこれもトリックを知っている気がするんだよなあ。

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一年半ほど前、書店でこの本を見つけた。近くの本屋には海外文学(しかも単行本)なんて置いていないから、おそらくは大阪か、あるいは横浜に帰省したときに立ち寄った本屋で見たのだろう。
 
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上掲画像は、編集ソフトで結合させてしまったのだが、左半分が上巻で、右半分が下巻である。これが書店に平積みされていると、まあ驚く。
ついでに書くと、装幀: 石崎健太郎、装画: 藤田新策。このノスタルジックなイラストレーションはすばらしい。藤田新策の公式サイトを訪れ、宮部みゆき『ソロモンの偽証』の装画を担当しているということを知る。
宮部みゆき『ソロモンの偽証』
これは文庫本の全6巻のうち1巻と2巻ぶんのようだが、これだけでも手に取りたくなる(公式サイトでは、文字の入っていない純粋なイラストが見られる)。
ちょっと余談。『ソロモン~』2巻側のイラストでは、クリスマスツリーのある建物が教会なのかもしれないが、その十字架と縦長の窓が「十川」の文字に見えて仕方ない。まったく内容を知らないのだけれど、まさか犯人は十川という苗字の人物じゃないよね。どうでもいいけれど。

キングに戻る。
この小説はタイトルだって衝撃的だ。『11/22/63』は、「イチイチ・ニイニイ・ロクサン」と読む。 ちょっと頭をひねってなにかの日付だということはわかったのだが、「1963.11.22」にいったいなにがあったのかがわからない。オビを見て、「JFK暗殺の日」だということを知る。いまさらJFK?
しかしすぐに興味が湧き、ページをぱらぱらとめくってみる。上下二段組でだいたい五百ページ。それが二巻あるわけだから、相当な大部といえよう。
とりあえず保留だな、とそのときは平積みの場所に本を戻した。


そして先月末ほど。引っ越してきてからはじめて利用した図書館に、この本を見つけた。「再会できた!」という歓びに勢いづき、すぐにこれを借りることにした。

恥ずかしながら、僕はこれまでキングを読んだことがなかった。厳密にいえば『スタンド・バイ・ミー』を小説でも読んでいるが、バリバリの長編小説作家という印象のあるキングからすると、例外の作品にあたるのではないかと(勝手に)思っているので、読んでいないと言ったほうが正確なように思う。

実際に読んでみると、文体の勢いのよさに驚く。ある書評家(けっしてアマゾンレビュアーではない)は、キングの文体を「語りのドライブ感」と評していた。まさにそのとおり。その力強い語りが、リアリティを積み重ねていき、やがて読者を圧倒する。
この長大な小説では、クライマックスシーンがいくつもあるのだが、その情景はすべて、読者のなかで映像として浮かんだのではないかと思う。
暴力的な父親がその一家を惨殺しようとする場面では、生々しい鮮血がこちらに降りかかってくるように思えた。あるいは、1950年代末期の男の子と女の子がダンスをする場面では、その笑い声が実際に聞えてくるように思えた。そのほかいくつも。

あらすじをごくごく簡単に言ってしまうと、主人公が「兎の穴」と呼ぶことになるタイムトンネルを使って、1958年9月9日の午前11時58分に行き、それから「世界を救うため」に、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺を止めようと試みる話。
好き勝手に時間旅行できるわけではない。「1958/9/9 11:58」にしか行けず、しかしそこでの行動は、現在(2011年ということになっている)に影響を及ぼす場合がある。たとえば、1958年に大怪我を負った人物を救えば、2011年ではその人物は怪我を負わなかった人生を過ごしてきたということになっている。
しかし、いったん時間旅行者が過去から現在に戻ってきて、そしてふたたび「兎の穴」に入れば、過去はリセットされる。大怪我を負うはずだった人物は、やっぱり大怪我を負う。殺された者は(たとえ主人公に救われたとしても)殺され、JFKは1963年に暗殺される。主人公たちが「兎の穴」に足を踏み入れるたびに、何度も何度も。
なお、過去でどんなに長い時間を過ごしていたとしても、「現在」では2分しか経っていないことになっている。たった120秒。主人公たち旅行者の肉体は、ある意味では正しく時間の影響(簡単にいえば老化)は受けるのだが。

主人公たち、と書いた。主人公に「兎の穴」を教えてくれた人物がいる。その男は、偶然にそれを見つけ、過去と現在を行き来する。
やがて彼は、世界をよりよくすることを思いつく。JFKの暗殺を食い止めれば――つまり彼が大統領の座にすわりつづけたのなら――アメリカはヴェトナム戦争を長引かせることもなかったはずと考え(ここらへんは浅学者の僕としてはまったく正誤の判断がつかない)、より多くの人間が死ぬこともなかっただろう、と。
これまで繰り返してきたように、JFKの暗殺は1963年のことだ。彼は過去の世界で五年過ごしてリー・ハーヴェイ・オズワルド(本書は陰謀論を排除しており、オズワルドひとりの犯行だとしている)を殺そうとたくらむが、避けられない事態が発生し、その大仕事を、それほど親しいわけでもなかった離婚したばかりの主人公ジェイク・エピングに引き継いでくれるよう依頼する。
それからいろいろとあるのだが――ほんとうにいろいろ――、ジェイクは世界を救うことについてはあまり逡巡がない。過去への旅行そのものを疑うことはあっても、だ。
ここに僕は感動した。
日本のまっとうな小説(まっとうでない小説とはなにか、はここでは触れない)の主人公であれば、同じような状況があったとしても、「よしわかった」とはなかなかならないのではないか。自分にはその資格がないと迷い、ほぼ強制されるような形で行動を始める、というのがひとつのスタイルのように思う。反対に言うと、「よっしゃ、それじゃあいっちょやりますか」とすぐにでも腰を上げるような小説は、日本では受け容れられないか、あるいは一段低いところにある小説と見られがちだと思う。
つまりこれは、「世界を救う」というひとつの大きな――とんでもなく大きな――概念に日常的に慣れ親しんでいるかどうかの問題のように思う。アメリカ人がみなそうだとは思わないし、そう判断する根拠もないのだが、ただ、日本人よりは「世界を救える」と考える人間が多いような気がする。その原因が宗教的なものなのか、はたまた政治的なものなのかはわからないが。

ともあれ、ジェイクはいさぎよく過去へ行く。
1958年は美しい。多くの好ましい人物たちが彼を迎えてくれ、多くのうまい食べものや飲み物をたのしむことができる。
しかしあたりまえのことだが、うるわしの50年代末・60年代初頭にも問題はある。実は1958年は、「兎の穴」を抜けてきたばかりのジェイクをその騒音と悪臭とで迎えるのだ。
別の例もある。すでに上巻は図書館に返却してしまったのだが、一部をメモしておいた。
とあるガソリンスタンドには三つのトイレがあった。その案内標識には、それぞれ《殿方用》と《ご婦人用》と、そして《有色人種》とあった。最後のものについて興味を持った主人公は、その標識を頼りに、スタンド裏手の茂みに覆われた斜面に行く。狭い小道の途中では蔦漆の葉を避けなくてはならなかった。その果てに設備はなく、細い小川と、崩れかけたコンクリートの柱をつかってそこに渡された一枚の板があるだけだった。小説はこう記す。
もしぼくが、一九五八年のアメリカはアンディとオピー父子が暮らすテレビドラマ〈メイベリー110番〉そのままののどかな世界だという印象をみなさんに与えているのなら、どうかこの小道のことを思い出してほしい。両側に蔦漆のあるこの小道を。川にわたされた一枚板を。
(上巻344p) 
アメリカのこの問題についてのみ言うのであれば、どうひっくり返っても2011年のほうがよくなっている。


もし『11/22/63』を読まずにこの記事を読む人がいた場合を考え、 これ以上あらすじについては述べないことにする。
JFKの暗殺はどうなったのか。あるいは、それ以上に重要な、1958年から1963年までの五年間、ジェイクはどう暮らしたのかというストーリー。それらは読んだ人たちだけが共有できるとても大切な宝物として、ここに公開しないでおく。
読了したとき、僕は例の喪失感を覚えた。いままで目の前にあった、生々しい人物たちの生が消えてしまったというあの喪失感。
最後の最後は無我夢中でページを繰っていたせいなのかもしれないが、感情が、読了したという事実に追いついていなかった。読み終えたのは夜中の一時だったので、すぐに電気を消し、ふとんに潜り込んだ。目をつむっていると、「大いなる物語」が終わってしまったのだという実感がじわじわと押し寄せてきた。エンディングのシーンが控えめに思い出される。美しい、これまた映画のような情景だった。
あの場面に漂う甘やかさとせつなさが胸のうちに広がり、やがてそれは喉のあたりまで上がってきて、その一部が、まぶたの裏のあたりをあたたかく押した。

このときに思ったのは、誰かが「この本を読んだ」と話すのを聴いたら、とても大きなものを得られた共通の仲間だと嬉しく思う反面、その内容についてはあまり話さないようにするだろうな、ということ。
小説は、どこか一部の文章を引用して満足できるような、そんな単純なものではないと思う。人間の記憶力が完璧ではないことや、思考の基礎となる言語が直観的な全体把握を苦手とすることから、人はつねに小説の一部分しか認識できないのだと思う。ある箇所を認識しているあいだは、別の箇所を同時に認識できないということ。
喩えれば、巨大な石の手前をさすっているあいだは、その巨岩の裏側部分の手触りを、忘れていたり、感じられないのと同様だ。
石の例を挙げるのは、先日、自分の身丈より全然大きな、まさしく巨岩というものを目の当たりにしてきたからなのだが、大きな岩は大きな岩でしかなく、その一部分をどんなにうまく写真に収めても、その大きさを鑑賞者に伝えることはできないと僕は判断し、実際に写真撮影を諦めたという経緯がある。
それは別として僕は、同じ『11/22/63』の読者とは、互いに大きな物語を抱えた仲間の「共鳴」を感じることに満足するだけにしよう。

「共鳴」は、この小説の重要キーワードだ。「過去は共鳴する」というフレーズで何十回と登場する。
作中ではバタフライ効果としても説明される。ある行動がいろいろな経緯ののちに大きな結果を巻き起こす、というあれだ。
この物語のなかでも、直接・間接を問わずいろいろな部分に共鳴が出てくる。殺されてしまうはずの人物が(主人公の努力により)生き残ったときには、強大な「過去」が、帳尻を合わせるように誰かの死を求める。生きるはずだった誰かの死を。
悪いことばかりではない。いいことも共鳴する。少年少女たちのダンスは、この物語の重要な通奏低音。グレン・ミラーの『イン・ザ・ムード』で踊るリンディホップというダンスが、何度も何度も登場する。そしてこの言葉も。
ダンスは人生だ


最後に、この小説がごく最近テレビで取り上げられた、ということを書いておこう。
つい先日に放送終了した『デート~恋とはどんなものかしら~』(非常にいいドラマだった)の最終回の直前回。
ある結婚式場から逃げ出して自宅に籠もる谷口巧(長谷川博己)が読んでいたのが、この『11/22/63』の下巻。藪下依子(杏)にこの本を取り上げられた谷口は、「スティーヴン・キングは一気に読むって決めてるんだ!」と言い返すのだが、もちろんそのセリフの前に、僕は気づいていた。そしてたぶん、この本の読者なら誰しも。あの装幀は見間違いようがない。そして、そのとき僕の手元にちょうどあったのも、この下巻だった。
過去だけではなく、人生そのものが共鳴している。

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安土往還記 (新潮文庫)
辻 邦生
新潮社
1972-04-27

うちの家族(僕以外)のなかでは辻邦生はすごく人気があるのだが、そのほかでは辻邦生の名前はあまり聴いたことがない。僕の知識や見聞がごく浅くごく狭いというもあろうが、率直に言って、いまはそれほど流行っていないのかもしれない。
で、僕はといえば「うーん、好みじゃないかもなあ」と父や弟に言われていたためにこれまでなんとなく敬遠していた。

書店で本書を手にし、第一ページを読んだときに僕は少し身構えた。
私が以下に訳を試みるのは、南仏ロデス市の著名な蔵書家C・ルジエース氏の書庫で発見された古写本の最後に、別紙で裏打されて綴じこまれている、発信者自筆と思われるかなり長文の書簡断片である。原文はイタリア語であるが、私はC・ルジエース氏の仏文の試訳に基づいて日本訳を行なった。
 もちろんこれじたいが偽文であるのだが、この仕掛けの大仰さに、これはいい加減に読み流せないぞといういささかの堅苦しさを感じたことも事実である。
上記文章の後に三ページほどの説明がつづき、それから本篇に入るとすぐに、主人公でありこの書簡の書き手である「私」が、いかにして生まれたジェノヴァから出ることになり、リスボア、ノヴィスパニア、モルッカ諸島、そして日本へと来ることになったのかという来歴が簡単に書かれる。
リスボアはリスボンだとして、ノヴィスパニアってイスパニアじゃないの?と思ってネットで検索しても、あまりヒットしない。もうちょっと検索をかけていくと、図書館でのレファレンスデータベースにずばりそのものの答えがあって、「新スペイン」と当時呼ばれていたメキシコのことらしいということが判明。なお、モルッカ諸島はインドネシアあたりにある。
彼は(手紙を書いた)現在は日本を離れ、インドのゴアにある聖パウロ学院のおいて聖職者たちに日本語を教えており、「暑熱と無為に倦」みながら日本の王国のことを思い出し、その思い出を友人に書いている、というその設定を読み進めていくうちに、読者は自然と十六世紀の世界の扉を開けていることになる。

作中では「私」の正確な姓名は明かされない。職業は、航海術に長けた元兵士の船員ということがぼんやりとわかるだけで、宣教師であるカブラル、オルガンティノ(両者とも実在の人物らしい)を送り届けるために日本にやって来た。
まず、全篇を通じた彼ら宣教師たちの活動が僕には非常に感動的で、この作品内では、彼ら宣教師の行動原理――事を成らしめるために自らを超えていこうとする精神――は、信長(作中ではただ「大殿(シニョーレ)」と書かれるのみ)の他は――作中での表記に倣えば――明智殿、羽柴殿だけが持つものであり、その彼らだけが共有しうる苦しみや孤独が、この小説のテーマのひとつである。
宣教師たちとは一歩異なる視点から日本を眺める「私」もまた、自らとその運命を克服しようとする者であり、だからこそ、のちに登場するヴァリニャーノ巡察使(これも実在の人物らしい)と大殿とが、言葉にはしないものの互いに友情を感じ合い、ヴァリニャーノがローマに帰らなければならないという際に、大殿が非常に美しく印象的な「贈り物」を贈るその気持を忖度することができたのだ。

物語を貫くもうひとつのテーマは、美意識であろう。これは、主にうちの家族から聴いた辻作品の特徴、という情報によって多少読み方にバイアスがかかっているのかもしれないが、安土城の壮大にして華美な姿や、あるいはオルガンティノらの尽力によって京都、そして安土に「南蛮寺」が建立される様子などは、その美しい描写だけで読者を感動に誘う。
前述した克己の精神が作品の表面に、そしてこの美しさに対する憧憬や畏敬の念が作品の底に流れていて、それが、この物語に重厚さをもたらしているのだ。

それではこの小説は、精神論に徹した、きらびやかな描写がつづくだけなのかというと、決してそうではない。
この小説内で信長は、彼を描いた他の多くの作品と同様、非道な行いを見せる。作品全体を振り返ってみても戦闘場面はあまりないのだが、その例外である長島討伐戦は細部まで描写されていて、こちらに血の匂いがしてくるほどの怖ろしさがあったので、一部引用しておく。
(信長にとっての)叛徒たちが籠城によって干上がってしまったために降伏を願い出ても、その使者すら磔にしてしまうという信長の包囲軍は、城砦の前にある河に船の一団を浮かべていた。ついに城門が開かれ、中にいた男女は誰もが必死に脱出を試み、あるいは、降伏を試みた。
彼らは死にもの狂いで船縁に手をかけ、泣きわめき、絶叫し、懇願し、慈悲を乞うた。しかし兵士たちは彼らを槍で突き放し、刀をふるって、船縁にしがみつく彼らの手を切断した。包囲軍の舟という舟には、こうして切りとられた手が、石の手のように蒼ざめて、なお船縁を固く握ったまま、十、二十と残っていた。
(89p)
しかしまた一方で、信長が信じられないような慈悲の心を見せる場面も出てくる。ここも信長の独白という形をとった非常に印象的な場面なので、長いが引用しておく。
「そうなのだ。温厚な荒木(※村重)」よ。お前はおれの無慈悲を責め、おれの無情を責める。だが事をして成らしめることがなかったら、そのような慈悲とは、そのような温情とは、いったい何なのか。もういまから何年も前のことだ。お前も憶えているはずだ。お前たちと近江へ馬を走らせていたことがある。あのとき、街道ぞいに、一人の盲目の足なえがいた。木の根がたに小屋をかけ、雨にうたれ、いかにも哀れな様子であった。そのとき、おれはどんな合戦の帰りであったか忘れた。ただその足なえの哀れさだけが妙に胸にこたえたのだ。おれはそれが忘れられなかった。おれがその足なえに木綿二十反を与えたとき、温厚な荒木老人よ、お前はなんという顔をしたのだ。お前は人に言ったそうだな。殿が合戦においてあれだけの慈悲を与えられれば、古今の名将であろう、と。だが、雨に打たれる盲目の足なえの哀れさに胸をつかれることと、合戦において非情であることとは、まったく同じことなのだ。荒木よ、合戦において、真に慈悲であるとは、ただ無慈悲となることしかないのだ」
(157p-158p)
これは『信長公記』に実際に記録されているものらしく、ネットで「山中の猿」と調べるといくつもその記述が見つかる。
長島討伐での苛烈さと、この「足なえ」に対する憐憫とが、もし本当にひとりの男から出たものだとすると、やはり織田信長という男はとらえがたい人物だ。
しかし、現代とはまったく異なると言ってよい価値観に支配されている時代に、しかもその同時代人とも異なる価値観を持った信長を、現代人が軽々にとらえられるはずがない、とも思う。上記独白のように、両者を「まったく同じこと」ととらえているか、あるいは同じ原理による行為である、と考えるのが少なくともいちばん真実に近づいているのではないだろうか(気まぐれ、というのもある意味、「同じ原理」による行動と見る)。


不謹慎かもしれないが、僕はここらへんを読んでいるときに、大岡昇平の『ながい旅』および先日、ISに殺害されたヨルダン人パイロットのことを思い出していた。
過去に少し触れたことがあるかもしれないが、『ながい旅』は、太平洋戦争終戦後、軍事裁判で死刑判決を受けた岡田中将についての裁判記録である。
逮捕理由は、1945年、名古屋空襲の際に、撃墜し、捕虜とした米軍爆撃機パイロットたちの処刑(しかも日本刀による斬首であった)を指示したこと。たしかこれは、国際法上の「捕虜の虐待」にあたると見做されたように記憶しているが、少し不確か。
この裁判記録では、実際の日本人被災者が証言台に立ち、その空襲の非人道的性(一般市民を狙った爆撃)を訴えていたが、つまり、当時東海地区の司令官だった岡田は、一般民衆の感情的側面からも、このパイロットたちを処刑することはやむを得ないと結論したのではなかったか(もちろん、彼の中では法的根拠はあったはずだが、僕として個人的に印象に残っているのは感情部分)。
これは、同じ日本人として読んでいると、米軍パイロットの処刑は(その方法は別にして)当たり前のように感じてしまう。アメリカ側は、パイロットたちは軍の命令を受けただけで個々人に罪があるわけではない、よって処刑は不法な行為であると主張したが、岡田はそれを聞き容れず、しかしその一方で、自身の部下たちについては、すべて上官である私(=岡田)から出た命令によって行動したわけだから彼らを厳罰に処さないでほしい、と同裁判において強く主張しており、その矛盾点は、実際に法廷で指摘されたか、あるいは筆者の大岡が指摘していた。
ISの行動や、その思想については一片の共感もできないし、彼らを武力殲滅したほうが世のためと思っている僕であるが、しかし、彼らの側に立ってみると、かのパイロットは自分たちの同胞を大量殺戮しようとした人間であり、捕虜として丁重に扱うという選択肢はまず出てこなかっただろうな、という想像をしてしまう。

なにか理解の範疇を超えるような事件が起こったとき、われわれ一般人はその動機を必死に捜し、そしてそれが自分自身から遠いところにあることを確認して少しでも安心しようとするものだが、真実――というものがあるのなら――はあんがい身近に、そして残酷な形で見つかる場合も少なくないように思う。
つまりわれわれも、その権力と武力とを有していれば、怒りに駆られて対抗勢力を皆殺しにすることを思いつき、そしてそれを実行に移すのではないのだろうか。そのポジションにあったことがないからわからないが、しかしその「未経験」は、上の仮説を否定してくれるわけではない。


ちょうどこの本を読んでいるときに、くりぃむしちゅーのテレビ番組で信長の手紙を扱っていた。途中から観たのだが、内容がかなりタイムリーだったので食い入るように観た。
手紙は熊本の細川家に残っているもので、信長から細川藤孝(幽斎)に送られたもの。将軍足利義昭と不仲になっていく様子や、あるいは、本能寺の変のひと月半ほど前でも、明智光秀を相当信用していたらしい、ということを知り、少し驚く。
手紙の解読に当たった先生がその中で興味深い説明をしていた。言葉はまったく不正確で僕の理解も混ぜてしまうけれど、だいたい以下のような内容だった。
後世の人が見れば、歴史の結果を知っているから、その結果に向かってすべてがストレートに進捗していったと思いがちだけれど、実際はそんなことはなくて、昔の人たちもやっぱり「いまこの瞬間」を生きていたんです。
「いまこの瞬間」なんて、その先生は一言も言わなかったと思うけれど、けれどもニュアンスとしてはだいたい上のようなことだった。
また、明智光秀が謀叛を起こした理由を問われて「実はわかっていない」と正直に告げ、光秀には信長に対する積年の恨みがあった、というわりと一般的に信じられている動機については、それは後世の人たちが、自分たちが納得できるように作ったのであって、一次史料にはその動機は見当たらない、と説明していた。
なお、同番組では、謀叛六日後に光秀が藤孝に送った手紙も紹介されていて、やはり光秀も、藤孝が信長没後すぐに髷を落としてしまったことについて動揺している様子が伺えた。藤孝は足利義昭の配下にあったときからのいわば同僚みたいなもので、きっと同調してくれると期待していただろうし、ましてや藤孝の息子の忠興は娘婿である。
しかしそうはいかなかった。藤孝忠興親子が服喪することによって兵を動かさないことを決めたのを知り、それを必死になって説得しようとする光秀は、やはり「未来」を知らない「いまこの瞬間」を生きている人間の姿そのものであった。上述した先生は、手紙のことを「肉声」と表現していた。


教科書の記述のような予定調和論的解釈をしないからこそ、既述した『安土往還記』におけるヴァリニャーノ巡察使と大殿との別れは悲しい。配下の者たちからは畏怖されている信長が、唯一心を開いて話せる宣教師たち。辻邦生の人物描写というのは事物の描写に較べてあんがい淡白なのだが、しかしそれがかえって、読者個人個人のうちにある信長像の輪郭を際立たせる。
ヴァリニャーノに帰国する旨を告げられたときの、「また私たちは会えるだろうか」という信長の言葉を読んだときには胸を衝かれるような思いだった。
一期一会という言葉が通信技術的観点からもリアリティをもって用いられていた時代の物悲しさもあるが、それ以上に、信長の「未来」を知っている僕たちはそこに人間の生のはかなさを見てしまう。

最後まで読み終わり、この中篇(文庫本で二百五十ページ程度)とも呼ぶべきこの小説がなぜこのように重厚なのかと考えた。
ひとつは、相当な史料に依拠して書かれている(らしい)ことによるだろう。適切に選択された裏づけのある事実がフィクションの部分に立体感をもたらしている。「適切に」というのは、単なる事実の列挙になっていないということである。史料を渉猟した人であればあるほど、あれも書こうこれも書こうとなりがちだと思うのだが、あえて記述を抑えているところに作者の伎倆を感じる。
次に、フィクション部分あるいは作者の想像による部分が極めて精緻に構成されていることが挙げられる。この小説が、単なる「史実にフィクションを少し加味したもの」に感じさせないのは、信長の行動原理、あるいは光秀の謀叛の動機、などが、辻邦生の美意識によってきちんと成立しているからである。というより、この行動原理なり動機なりを口頭で説明しようとなるとかなり難しく、そのときあらためて作者の文体と美意識がそれらを丁寧に裏打ちしていることに気づかされる。ただし、作者の感性とマッチせず、納得できないという読者もおそらくはいるだろうとは思う。
そして最後に、主人公である書き手の「私」の立ち位置が絶妙であること。彼は、異邦人から観察される日本人でもなく、また宗教を普及させに来た宣教師でもなく、支配者階級でもなく、兵士でもなく、宗教信仰者でもなく、まさにここに描かれている世界のどこにも所属していない人物として最適の観察者となっている。
彼の非所属性は、他者との関係性だけでなく、地理的空間においても発揮されていて、はじめのほうに書いたとおり、「リスボア、ノヴィスパニア、モルッカ諸島、そして日本へ」と来た彼は、本能寺の変の一年後に、ゴアに発つ。彼はどこにいても異邦人であり、つねに共同体からは一定の距離を置いていて、それゆえに見えてくるものがある。
その冷静な観察者をもってしても心揺さぶられるものが大殿のいる安土にはあった、というのがこの作品の重要な部分であり、本能寺の変以降についてはわづか数ページしか割かれないものの、幻が消えていくのをただ静かに眺める「私」の失意が手で触れられるように感じられる。
読後の喪失感は、織田信長という傑物と言わざるを得ないような人物に接することのできた読書中の充実感の反動であり、この喪失感の大きさこそが、この小説の素晴らしさを物語っているように思う。

編集

北方謙三の『史記 武帝紀』全七巻を読了し、それからおそらく関連があるだろうと中島敦『李陵』を読んだ。『李陵』は六十頁あまりの短篇。


順序は逆になるが、『李陵』の感想から。

漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった。阿爾泰山脈の東南端が戈壁砂漠に没せんとする辺の磽确たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風は戎衣を吹いて寒く、如何にも万里孤軍来るの感が深い。漠北・浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。既に敵匈奴の勢力圏に深く進み入っているのである。秋とはいっても北地のこととて、苜蓿も枯れ、楡や檉柳の葉も最早落ちつくしている。木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍を除いては)、容易に見つからない程の、唯沙と岩と磧と、水の無い河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、稀に訪れるものとては曠野に水を求める羚羊ぐらいのものである。突兀と秋空を劃る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などに唆られるものはない。それ程に、彼らの位置は危険極まるものだったのである。

冒頭文。あえてルビは振らない。それでも格調の高い名文であるということはわかる。
この李陵については、僕自身は、あくまでも司馬遷宮刑(去勢刑)に至るまでのエピソードの登場人物のひとりとしてしか知らなかった。李陵は名将ではあったが、敵方である匈奴に捕まってしまう。その際、時の皇帝、劉徹(諡号武帝)の臣下一同は口を揃えて彼を謗ったが、ひとり司馬遷だけはその功績を讃えたという。しかしそのことが武帝の不興を買い、司馬遷宮刑に処せられるのだが、ここから彼は屈辱の生を生き抜き、みごと『史記』を書き上げた……とそのくらいのことしか知らなかった。
中島敦の『李陵』は、その名のとおり、李陵が主人公である。司馬遷も、それから李陵の旧友の蘇武も登場するが、メインはやはり李陵。
この男が五千の兵を率い、果敢に闘いはするものの匈奴に敗れ、捕虜として匈奴で生活を送る。彼自身は敵に屈服するつもりはなかったが、匈奴の王、単于(ぜんう)が彼のことを気に入り、優遇される。そのうち、漢側の誤解により、李陵は匈奴に完全に寝返り匈奴のために働いていると帝に奏上され、怒った武帝は、長安にいる李陵の家族を誅滅する。

余談だが、宮城谷三国志でもこの族滅・誅滅、という言葉はよく出てきたように記憶している。一族郎党が小さな子どもから女・老人に至るまですべて殺されてしまうのである。大河ドラマ軍師官兵衛』でも荒木村重が謀反を起こした際に、その人質がすべて殺された場面があったが、あれと同じことで、古代中国と、戦国時代の日本では感覚がそれほど異なってはいなかったのかもしれない。

一族の殺戮という衝撃を受けた李陵は匈奴に属することを誓うのだが、さりとて、(少なくともこの小説内では)匈奴のために功を立てるということはない。
そこでもうひとりの登場人物の蘇武について語らなければならなくなるのだが、この蘇武という男も漢側の人間で、李陵とは別のタイミングで匈奴の虜囚となっていた。彼はある外交使節としてやってきたのだが混乱に巻き込まれて、単于に降伏を迫られる。彼は生き恥をさらすものかはと剣で自らの胸を突いて自裁を図るが、すんでのところで救済され、そのまま北海(バイカル湖)のほとりで生活することを強制される。だがこの小説では、彼の北海での困窮については、「余りにも有名だから」ということで割愛されている。もったいない!(理由は後述)
蘇武が北海で生き延びつづける理由は、ただ運命に屈せず意地を貫き通すというその一点のみにあった(本当は、それだけではないということが後でわかるのだが)。その結果として彼は十九年ものあいだ、司馬遷とはまた異なった絶望の淵にあった生を生き抜くのである。
この蘇武に降伏を勧めるために、李陵は北海に送られる。まだ蘇武が囚われて数年の頃だ。二十年ぶりに会った旧友を見て、李陵はほのかな嫉妬をする。
もともと李陵は、族滅が行われる以前、匈奴に降伏した体を見せてその実、単于の首を奪い、それから漢に逃げようと思っていたところもあったのだが、その機会が得られず、たとえ命をとったとしても漢にうまく逃げ帰ることができない(=自分の手柄を祖国に伝える者がいない)という理由から実行できないでいた。
しかし蘇武は、漢はおろか匈奴の誰にも知られないままで死んでしまうような場所で、ひとり意地を通しつづけていた。つまりこの硬骨漢は、誰かにその死が意味のあるものだったということが認められないことを憂えてはいなかったのだ。そこが李陵と異なり、その差異について李陵は嫉妬するのである。ここからもわかるように、かなり心理のうちのうちにまで作者の考察は重ねられており、単純な歴史モノに収まらないところが面白い。
なにも言い出すことができないまま、李陵は蘇武と別れる。そしてそれから長い時間が流れる。
ついに蘇武は漢に帰れることになる。匈奴の将である李陵は、別れの宴席で蘇武のために舞を舞う。蘇武は立派な男だが、李陵にも李陵の事情があった。それについてなにかを言うではなく、ただ舞い、歌うだけであった。
物語は、それから『史記』を書き上げた司馬遷への記述へと移り、それから、まるで森鷗外の『阿部一族』を思わせるような淡々とした筆致で李陵のその後について書く。いや、李陵がその後どうなったのかについては記録が残されていない、ということを書き、物語を終える。読後には、沙漠の乾いた空気とともに、運命の不思議さや不条理さが残る。

もうひとつだけ。
中島の作品では、司馬遷が『史記』にとりかかる際、述而不作(のべてつくらず)を心がけた、ということが書かれている。歴史書は事実を「述べ」るにとどめるべきであり、決して物語を「作」ろうとしてはいけない、ということだ。このように「彼は『作ル』ことを極度に警戒した」。しかし、このあとの文が非常に興味深い。

彼は、時に「作ル」ことを恐れるの余り、既に書いた部分を読返して見て、それあるが為に史上の人物が現実の人物の如くに躍動すると思われる字句を削る。すると確かにその人物はハツラツたる呼吸を止める。これで、「作ル」ことになる心配はない訳である。しかし、(と司馬遷が思うに)これでは項羽項羽でなくなるではないか。項羽始皇帝も楚の荘王もみんな同じ人間になって了う。違った人間を同じ人間として記述することが、何が「述べる」だ? 「述べる」とは、違った人間を違った人間として述べることではないか。そう考えてくると、やはり彼は削った字句を再び生かさない訳には行かない。元通りに直して、さて一読して見て、彼はやっと落ちつく。いや、彼ばかりではない。そこにかかれた史上の人物が、項羽や樊噲や范増が、みんな漸く安心してそれぞれの場所に落ちつくように思われる。


新潮文庫版 116p)

この文章は面白いことに、作者中島敦の独白のようにも思えてくる。この司馬遷の独白こそ、事実を単に列記することにとどまっておらず、作者の想像・創造によって司馬遷自身が再び生を得ているように思われる。
これを踏まえたうえで、北方謙三史記 武帝紀』の感想。


北方謙三水滸伝』『楊令伝』は、それぞれ十九巻、十五巻を費やしてもいまだ物語が終わっていない。現在は『岳飛伝』と題名を変え、連載がつづいている(既刊七巻で、こちらはまだ文庫化されていないので未読)。
その長い長い物語に較べれば、この『史記 武帝紀』七巻はそれほどの小説ではないかもしれないな、と読む前に思っていた。だから気軽に読めるな、と。
ところがどっこい。これはこれですごい小説だった。

ごく大雑把に言ってしまえば、『水滸伝』シリーズは時の体制に対する反逆者たち個人個人の物語である。実際に、作者もゲバラカストロキューバ革命をモデルにしていると公言している。
これに対して、『史記 武帝紀』の登場人物のうちの一人は、劉徹(武帝)である。皇帝の視点で漢という国が動いていくのが見える、というのがまず新鮮だった。
劉徹は、皇帝に即位した当初は外戚の力も強かったのだが、それを徐々に取り除いていき、個人の意思を発揮するようになる。その第一歩として、父祖の代から周辺を匈奴に脅かされていたという状況を一転させ、匈奴を侵攻することを考える。そこで活躍する将軍が、衛青と霍去病(かくきょへい)である。彼らの他に、内政について諮る文官の中には、幼少期より一緒に過ごしている桑弘羊がいる。そして、張騫(ちょうけん)。この男は、劉徹がまだ幼いときに西方に行けと命令され、途中、匈奴に捕まってしまうのだが、十年の期間ののちに脱出し、ゴビ砂漠を十数人で突破するという偉業を成し遂げる。
この、劉徹、衛青、霍去病、桑弘羊、張騫の五人が、前半部の漢側の主人公たちである。
他の小説でどう描いているのかはわからないが、『水滸伝』シリーズと同様にこの『史記 武帝紀』も、(「章」の下の)「節」ごとにメインの人物が変わり、視点が変わる。たとえば、衛青の次の節は、劉徹で、その次の節は、桑弘羊というように。このおかげで、読者は多角的視点を得られるようになり、物語も複層的になっている。
劉徹が皇帝として為したいこと(たとえば外征)は、国庫のことを考えなければならない桑弘羊にとっては頭痛の種であり、将軍衛青にとっては至上命令である。霍去病は、叔父である衛青に願い出て軍に入り、そこでめきめきと頭角をあらわしていく。そして張騫は、仲間が次々と斃れていく中、ひたすら砂漠を歩いて行く。

この物語の基調が、ある時点でぷつんと切れる。歴史に詳しくない僕のような読者は、「え? え?」と混乱することになり、そこから光り輝くような英君の威光に暗い影が差していくことになる。
個人的な感想として、ここから漢と匈奴の主客逆転が起こる。そして、ここからがいよいよ本番。
若い頃の劉徹・衛青・霍去病が持っていた輝きは、新しい単于の伊穉斜(いちさ)、彼の三人の息子たちと、そして将軍、頭屠(とと)に移る。漢の猛攻により北に追いやられた匈奴は、いつか逆襲する日を待ち、雌伏をつづける。
劉徹の政治は空回りをつづけ、いつしか朝廷では謀殺の嵐が巻き起こるようになり、きのう要職にあった者たちが、きょうは次々と棄市(斬首)、腰斬、そして宮刑を与えられる。文中に「死を賜る」という言葉があって、恐ろしいと感じた。死ですら、皇帝から臣下へ賜るものだったのだ、当時は。
そんな武帝劉徹の治世はなんと五十年を超える。その長い長い時間のなかで、李陵と蘇武、司馬遷たちが成長を始める。前半部は、いわば長い長い前フリだ。


と、小説の内容について書くのはここまでにしておく。北方は、中島敦『李陵』を念頭に置いてこの『史記 武帝紀』を書きだしたようだが、そこに敬意を払いつつも、また別の解釈で李陵、蘇武、そして司馬遷を描いている。僕がなんといっても感動したのは蘇武のバイカル湖ほとりでのサバイバル場面で、ここだけを切り取って冒険小説と読んでもまったく遜色ない(張騫のシルクロード踏破の場面も同様)。蘇武がなぜ、そしてどうやってたったひとりで厳寒の地を生き抜いたのか。僕が上で『李陵』においてここが割愛されたことを「もったいない」と書いたのは、中島敦にもこの場面を描いてもらいたかったからである。

北方謙三歴史小説は、歴史を描きながら、同時に現代を描いている。少なくとも、『三国志』『水滸伝』シリーズ、そしてこの『史記 武帝紀』は。
たとえば、中島『李陵』にこのようなエピソードがある。
李陵が決死軍である歩兵五千を率いて匈奴と闘いを繰り返しているときである。夜、将の李陵が陣中を視察していると、輜重車(兵糧や武器を運ぶ車)の中から女を発見する。その他の車輛も調べると併せて十数人の女がいた。彼女たちは、もともと辺境の地に群れなす盗賊たちの妻であったのだが、官軍による賊の討伐があった際に寡婦となり、ある者は守備兵の妻となり、またある者は娼婦となった。この娼婦が軍の中に隠れて一緒に行動をし、商売をしていたのである。このことが知れたときの李陵の行動は、以下のとおりだった。

李陵は軍吏に女等を斬るべくカンタン*1に命じた。彼女等を伴い来たった士卒については一言のふれるところも無い。澗間*2(たにま)の凹地(くぼち)に引出された女共の疳高い号泣が暫くつづいた後、突然それが夜の沈黙に呑まれたようにフッと消えて行くのを、軍幕の中の将士一同は粛然たる思いで聞いた。


新潮文庫版 100p)

彼女たちは群盗の寡婦であるから、あるいは娼婦であるから殺されてもよかったのだという当時の価値観が読めなくもない。そしてこの記述はそのまま、李陵の軍律の厳しさを肯定的に示している。こういう表現あるいは実際の行動は、女はほとんどのばあい黙殺されている歴史書の書き方(ただしこの部分が、中島の創作なのか、あるいは原典の『史記』に基づいたものなのかは知らない)としてはいかにもふさわしいやり方だったのかもしれないが、現代ではとうてい通用しないだろう。なんと李陵は冷たい人物なんだろうか、とそちらに批難が集中することは想像に難くない。

一方、この部分を北方謙三は以下のように記している。やはり娼婦たちが発見された場面で、そのことを副官に問い質す。

「女だと?」
「長い行軍になると思ったのか、兵の中で、武剛車に女を潜ませている者がいるのです。俺は気づいていましたが、知らぬふりをしていました」
行軍する軍に、女たちがついてくるのは、めずらしいことではなかった。つまり行軍に従いながら、躰を売るのだ。

(中略)
「食いものなどは、どうしていた?」
「兵たちが、互いの兵糧を出し合い、女に与えていました」
「健気なものだな。しかし、追い出せ。兵には、全員を斬ったと言え。俺も、気持がわからないわけではないが、いまの情況で、それを認めるなどということはできん」
「追い出します。十八名全員を」


(ハルキ文庫版第五巻 64p-65p)

そしてこのあと、副官にはあらためて「(彼女たちを)まとめて連れていって、どこかで放せ」と命令を下し、実際に差配した将校を呼びつけ、厳しく叱咤する。

いわゆる日本の従軍慰安婦問題と絡めると話は複雑になってしまうが、北方版においては、彼女たちが戦争寡婦であるという記述は出てこない。そういう悲惨な境遇にあって軍の強制あるいは生活環境からの強制によって連行された人たち、という描写は避けたのだろうし(「だからといって幸福でもない!」という批判はひとまず措くとして)、書かれていないことだが、きっと作者の中では自らの意思(もちろん生計として)で従軍した人たち、という扱いになっているのだと思う。繰り返しになるが、「自分の意志で売春する人間なんていない!」とかそういう話をしたいわけではないので、売春そのものの問題についてはこれ以上書かない。

ともかくも北方謙三は、中島版の李陵のこの娼婦たちへの処遇はひどいと思ったに違いない。兵士たちに将軍としての厳格さを示す一方で、女性たちへの憐憫もきちんと見せるところが、現代的だと僕には感じられた。
このような例は、他の部分でも多く見られる。繰り返しになるが、張騫・蘇武のサバイバルシーンはこれ以上にないほどのハードボイルドである。彼らはただただ「生きる」ということに貪欲になり、ときには非情な手段でそれを実践する。このような態度は紛れもなく究極的な個人主義の発露であり、漢という国への忠義を果たそうという封建主義的性格とは正反対のものである。

さて。ここで、中島『李陵』における司馬遷の独白に戻る。
『李陵』の司馬遷は、「述而不作(のべてつくらず)」を心がけた、とあった。そして、単に事実を列記して登場人物たちを無個性にすることが「述べる」なのではなく、個々の人物たちが躍動するようなものこそが、歴史を記述することになる、という判断を下しているが、これは北方版『史記』についても、同様のことが言える。
精査したわけではないのでわからないが、おそらく『史記 武帝紀』の主要のストーリーはほぼ史実に基づいていることと思う。しかし、そこに登場する人物たちの生は作者によって現代風に再構築され、新たな命を吹き込まれている。彼らのほとんどは、瑞々しい青春時代から出発し、輝かしい栄光を手に入れる充実した壮年期を経て、やがて幸福に倦んでいくのだが、その中でも苦しみながら自らの生を模索し開拓していく。読者は、耳のすぐ傍で彼らの息遣いを感じながら、砂漠の暑さと渇き、極寒の地の静けさ、馬たちの駆ける原野の広大さ、宮廷にある贅の極みと猜疑心の渦などに思いを巡らせることができる。
水滸伝』シリーズなどと大きく異なるのは、かの作品の登場人物たちの多くが体制という大きな存在に対して叛逆の意志を持っているだけでよかったのに対して、『史記』においては、ひとりひとりが生まれながらに背負った境遇を受け容れるところから始まる、という点であろう。
前者は、(『楊令伝』になると少し複雑になるのだが)革命という目標達成の困難さをさておけば単純であるが、後者は、非常に複雑である。武帝は、外戚の圧力に苦しむ皇太子から始まってやがて誰の力を恐れる必要もない存在となるし、衛青は、奴僕から始まって大将軍にまで至り、張騫なら、捕虜の十年を経たのちに外交使節としての役割を果たそうとする。単純に言ってしまえば、彼らは運命に翻弄される。蘇武が北海で孤独に暮らすことになったのも、李陵が族滅の憂き目に遭ったのも、すべて運命だったと言えないこともない。
彼らは、混乱の状況にあってそれを克服しようとすることで、生の手がかりを掴んでいる。その先にあるのは一般的な「幸福」なのだが、「幸福に倦む」と前述したように、彼らはそれを望んでいるわけでもない。ただただ藻掻くところにこそ生はある、と言うかのように。
だから、なにもかもが思いのままになってしまい、しかしそれでも成し遂げられないものはあるということを痛烈につきつけられつづける劉徹=漢から、物語の重点は、逆襲を図る匈奴へと移っていくのは当然のことなのである。

*1:ここはカタカナになっている理由がよくわからない。「簡単」ということだろうか。「カンタン」という人物は、この後にも先にも登場しない。

*2:原文は、間の「日」が「月」になっている。内田百閒の「閒」。

編集

別にドラッグのことがちょっと話題になったからそういう類の小説を読みたかったというわけではなく、あの『ヴァリス』に新訳が出るということだったので、その山形浩生訳バージョンで再読。

この小説じたいを知ったのは、映画『スキャナー・ダークリー』の影響。

アニメーションと実写を融合させた、とかいう触れ込みだったかでちょっと話題になっていて、そこで興味を持ち、図書館で先に文庫を借りて読んだ。2006年のことだ。

ディックの作品ではあるが、SF色は少なく、ほぼ唯一の存在がスクランブルスーツで、文章の記述だけではよくわからなかったこの「装置」は、映画でみごとに映像化されており、なるほどこういうことだったのね、とすぐに諒解できた。
覆面捜査官のフレッドは、カリフォルニアじゅうに蔓延する物質Dの供給元を探すべく、ボブ・アークターとして潜入捜査をする。フレッドはアークターとして物質Dを常用し、他のジャンキーたちと共同生活を行い、しかもその家に警察が取り付けたスキャナーで彼らの生活を監視していく。当然、「彼ら」の中にはフレッド自身も含まれるのだが、捜査上は、そこにいるのはフレッドではなくあくまでもアークターであり、そのことはフレッド以外の捜査官たちは知らない。供給元のスパイが警察組織にも潜り込んでいるかもしれないので、捜査官同士は、お互いの素性を明かさないのだ。だから、フレッドが上司に捜査の進捗状況を説明する際には、他のジャンキーたちと一緒にアークターのことも報告しなければならない。
この複雑な仕掛けが、物質Dが脳梁に与えるとされる影響とうまく絡み合い、ディック独特の自己の存在が不確かになる状況を作り上げる。

捜査官としてフレッドは、感情を押し殺すことに慣れてしまっている。上司に最近起ったジャンキーたちの悲惨な話を聞かされても、平然としていられる。それは職業上で身につけた技術のひとつだった。けれども、フレッドからアークターに戻るとき、つまりスクランブルスーツという個人の身体的特徴を外観上まったく取り去ってしまう装備を脱げば、そうもいかなくなる。

そして、あとになってから感情がジワジワと戻ってくる。
自分が目にしたさまざまな出来事に対する憤り、そして恐怖さえもが、あとからやってくる。ショック。予告編なしで、ものすごい圧倒的な映画が上映されるような。それもその音声が、頭のなかでボリュームいっぱいに鳴り響く。


(84p)

この小説では、作者のディックが実際に見聞き、あるいは体験したことが語られていると考えられる。たとえば、変速ギアのついた自転車を十段変速だと聞いて購入したが、前に二つ、後ろに五つのギアがついているので、七段ギアをつかまされたと怒る話とか。三段ぶんをどこかで盗まれたのか、あるいは売り手がはじめから隠し持っていやがるとクレームをつけにいくが、途中で通行人と出会い、彼からギアの数え方は「2+5」ではなく「2×5」であると説明され、腹の虫がおさまる。
また、ジャニス・ジョップリンの話も出てくる。

ジャニスのマネージャーが、彼女にはたまに数百ドルずつ渡すだけだったって話を聞いたっけ。あれだけ稼いで、もらえたのはたったそれだけ。ヤク中だからって理由で。すると、頭のなかで彼女の「すべては孤独」が聞こえてきた。泣けてきた。

(187p)

これは有名な話だ。あるホテルで二十七の若さで死んだとき、彼女の手には数ドルがあっただけだとか。
その他もろもろ。


ドラッグに溺れることがいいだとか悪いだとか、この小説を読んで得られるものはそういう判断ではない。
そうではなく、この小説にずっと通奏低音として流れている抑鬱の調子に注目していると、六十年代の行き詰まったアメリカの様子があらわれてくるような気がしてくる。もちろん現代アメリカ史なんてちっとも知らないうえでこういうことを書くのだが、たとえば、ジャンキーたちを「動物を虐待したりかけがえのない芸術作品を破壊するような犯罪者」と決めつけるカタギの人間に対してアークターは、そんなことはないと説明する。ヤク中は動物を傷つけることなんて滅多にしないと。

「かけがえのない芸術作品」の破壊についてはよくわからなかった。というのも、「かけがえのない芸術作品」というのが何なのかよくわからなかったからだ。ヴェトナム戦争中、ソンミ村ではCIAの命令で、かけがえのない芸術が四百五十人も破壊されて殺された。かけがえのない芸術作品に加えて、ウシやニワトリや記録に残らなかったその他の動物たちも破壊された。これを考えるといつも気が滅入って、美術館所蔵の絵とかなんてどうだっていいように思えるのだった。

(138p)

ディックという作者は、この現実に起った事件を、フレッドのように感情もなく職業作家的に受け止めたのと同時に、アークターのようにじわじわと苦しんだのではないだろうか。まともではないのはいったいどちらなのか。
この小説のラストには、作者の「あとがき」がある。そこにはこう書いてある。

この小説は、自分の行ないのためにあまりにも厳しく罰せられた人々についてのものだ。みんな楽しく過ごしたかっただけなのだけれど、みんな道路で遊ぶ子供同然だった。仲間が一人また一人と殺されて――ひかれて、不具になり、破壊されてゆくのがわかっても、とにかく遊び続けた。おれたちみんな、しばらくはすごく幸せだった。すわりこんで、働きもせず、ヨタをとばして遊んでるだけ。でも、それは死ぬほどちょっとの間しか続かなくて、その罰ときたら信じ難いようなものだった。それをまのあたりにしても、まだ信じられないくらいだった。

(395p)

そしてディックは、この小説に教訓はないとハッキリと書いている。遊ぶことをやめようと思えばやめられたのだから、彼らに降りかかったのは運命ではないということだ。

おれはこの小説の登場人物じゃない。おれ自身がこの小説なのだ。でもそれを言えば、当時のアメリカすべてがこの小説だ。この小説は、おれの個人的な知り合いよりたくさんの人たちについてのものだ。おれたちが新聞で読むような人たちについて。こいつは、仲間とすわりこんで、ヨタを飛ばしてテープで録音したりすることや、六〇年代という時代の、体制内外での悪しき選択についての小説だ。そして自然がおれたちに鉄槌を下した。おそるべき事物によって、おれたちは無理矢理遊ぶのをやめさせられた。「罪」があったとすれば、それはこの連中が永久に楽しく過ごしたいと願ったことで、それ故に罰を受けたんだけれど、でも、さっきも言ったけど、おれの感じでは、その罰はあまりにも大きすぎた。


(396p-397p)


この小説は、この「あとがき」によってリアリティの裏づけをされているようなところもある。上の文章の数行後に、ディックの友人たちの名前が列挙されるのだが、その十五人の名前の下には、「死亡」という文字か、あるいは「不治の」と冠された病気の名前がついている。


物語に戻る。
フレッドの監視するスキャナーの前では、アークター、バリス、ラックマン、そしてドナが一日じゅうドラッグに浸りながら無駄話をつづけている。そのうち、フレッドはアークターのことを怪しいと思い始める。いずれボロを出すまでボブ・アークターを見張る、と。フレッド=アークターは、そのうち、自分の行動もきちんと認識できないようになってくる。わづかな金で寝てくれるジャンキーの女の子が、見る見るうちに自分の恋人に変容し、また戻るという様子を目の当たりにする。物質Dがすっかり彼の頭に回っているのだった。

フレッド=アークターは、高い代償を払うことになる。それについて語るある人物の祈りのようなつぶやきは、切実であり哀しい。それは「あとがき」にあるディックの言葉そのものなのだ。いつの時代も誰かが、それと知らずに犠牲となっている。
彼に救いはあるのだろうか。全編を通して、ボロボロになりどうしようもない人間たちがだべっていてばかりのこの小説が最後に見せるのは、残酷で悲惨な現実に射す、美しい光芒だった。そうと信じたい。

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