とはいえ、わからないでもない

カテゴリ: ラジオドラマ

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もはや一週間前のことになってしまうが、13日のFMシアターのラジオドラマのできがよかった。
なんでもNHK名古屋の創作ラジオドラマ公募作品だったらしいのだが、実によくできているものだと感心した。まあたぶん作者はアマチュアということはなかろう。
「私事で恐縮であるが、ついにその夜、死ぬことにした」で始まり、とてもシリアスなものになるかと思いきや、蓋を開けてみれば田口トモロヲと佐藤二朗というふたりの芝居巧者が、テンポのよい滑稽なセリフの応酬を聴かせてくれて、あっというまに1時間弱の時が流れてしまう。
といって、完全なるコメディかというとそうではなくて……ネタバレはしたくないので詳しくは書かないが、音楽、構成、演技・演出等を含めてラジオドラマはかくあるべし、という見本のような作品だ。

ひとつだけ。いちばん心に残ったセリフは、田口トモロヲの「だけどね……きみのあの話はよかったな」というものだった。
おそらくこのドラマを聴いた多くの人は、これとは違うセリフやシーンを取り上げるとは思うし、それが当たり前のような気もする。
けれども、もう一度繰り返して聴いたときも、やはりこのセリフ回しにじいんとしてしまった。「あの話はよかったな」という文章が台本に書かれていたとして、いったいこのように発することができるのだろうか、と田口の表現の豊かさにしびれた。

毎回毎回が面白いなんてことはなくて、むしろ当たりの率は低いくらいだけれど、それでもときにはこのような佳品に出会えるので、やっぱりラジオドラマは面白い。

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毎週聴いているNHK FMのFMシアターの感想をメモしておく。

6/6 『お乳の神様』

【出演者】
正司照枝・三倉茉奈ほか
【あらすじ】
かなり真面目な戦争もの。ある家に嫁いだ女性が戦地に赴いた義弟と手紙のやりとりをし、淡い淡い恋心を互いに交わすのだが、ささいな心のすれ違い(というより女性の考え違い)により交信は疎らになってしまう……。
【感想】
兄嫁を恋人のように見立て、遠慮しつつも戦地での不安を払拭させようとする義弟の文面が、明るくなれば明るくなるほどせつなく、ドラマとしても非常によくできていた。
時代を限定させてしまえば、手紙はまだまだ物語のなかで非常に有効な装置として機能するものだとも感じられた。特に、ラジオドラマでは。

6/13 『シュガー・ソネット』

【出演者】
葵わかな・下田翔大ほか
【あらすじ】
両親の離婚によって味を感じられなくなってしまった少女は、そのことを誰にも告げずにいた。しかし、まったくなんの味もしない食事をたのしんでいるふりをしつづける毎日に苦痛を感じていたところ、ある日、彼女は不登校の男子クラスメートと出会う。なんと彼の左手(か右手)はメレンゲでできていて、しかも再生可能(取り外してもすぐに生えてくる)だということを教えてもらう。試しにそれを食べさせてもらうと、味が感じられる! ふたりは共通の秘密を持って仲良くなっていくのだが、やがて「メレンゲの左手」のことは周りにバレていき……。
【感想】
第43回創作ラジオドラマ大賞 佳作とのこと。
ストレスによる心身症を扱ったものかと思いきや、途中からいきなりファンタジーに突入するところが面白かった。しかし、そのあとの物語の収拾のつけ方が、むりやり現実の地平に着地させようとするように見えてしまい、興醒め。
「思春期時代の秘密の共有および淡い恋心」「ストレスの具現化」「変容していくふたりの関係性」等の面白いキーワードを最後まで丁寧に料理しつづけられたのなら、傑作になったと思う。もったいない。
なお、ヒロインの声を演じた葵わかなは東京海上日動のCFで毎日父親の軽トラに乗せてもらって通学する女の子、と言えばわかる人はわかるだろうが、彼女はけっこういい声をしている。
2014年のFMシアター『同じ空の下』でもヒロインを演じているのだが、これも少女っぽさが残っている(というか現在まっただ中か)非常にいい声に思えた。『同じ空の下』も震災・原発事故のその後を扱った福島放送局制作のいい作品。

6/20 『みごもる。』

【出演者】
大後寿々花・松本明子ほか
【あらすじ】
父親のいない家庭に育ったヒロインは、祖母の死をきっかけに、助産婦として忙しく働くためあまり家に帰ってこない母親に隠れて援助交際をつづけ、高校生ながらも、父親のわからない子どもを身ごもるのだが……。
【感想】
醜悪な話。まず、援助交際をすることを、いかにも「堕ちた」感じで描くこのやり方に違和感を覚えた。しかもこの女の子は、自身のことを「こんなの最低だよ」と自嘲してもいる。
仕事にかまけ家庭を顧みない(ように娘には映る)母への不満を、売春という形で発露させるというのが、はたしてリアルな心の動きといえるのかどうか。ここらへんは男である僕にはなかなかわからないのだが、動機はどうあれ、もし援助交際に精を出す(?)ような人物であれば、それはそれでけっこうあっけらかんとしているようにも思う。なお、この家庭は経済的に困窮しているわけでもないし、彼女自身、男から金をもらうときにその多寡に執着している様子もない。「お母さん、わたしを見て!」と言いたいがために身体を売るのは、思春期の女の子としてはよくある話なのだろうか?
結局、高校生のシングルマザーとして子どもを生むことを決意し、赤ちゃんが生まれれば万事解決とばかりに一挙にハッピーエンドの様相を呈するこの流れに抱いた疑問は、番組最後のクレジットで脚本家に男性の名が告げられたときに、「やっぱりなあ」と氷解した思いだった。頭で書いた作品の典型。
大後寿々花は、『桐島、部活やめるってよ』に出演していたサックスを吹いていた女の子で、『八重の桜』にも出演していた。

6/27 『春来る鬼』

【出演者】
森川葵・山田真歩ほか
【あらすじ】
美術教師に恋する女子高生のヒロインは、あるとき、その教師に同棲している恋人のいることを知り、それでも教師の家に押しかけ、奇妙な三角関係が始まる……。
【感想】 
近藤よう子の原作ということでたのしみにしていたのだが、だいたいからして三角関係が始まったところでげんなりしてしまった。
結局は女同士で愛情の見せつけ合いをし、教師じたいは優柔不断でどちらにもいい顔をするというごくごくありふれた展開に落ち着くのだが、最後、ヒロインと教師の恋人のあいだに共犯的な友情ともいうべき感情を抱いていたということがわかるあたりが、すこーしだけ常道から外れているのかもしれない。が、わざわざ鑑賞すべきほどでもない、と判断する。
なお、山田真歩は『花子とアン』の宇田川センセの女優。 

7/4 『婚礼、葬礼、その他』

【出演者】
貫地谷しほり・山中崇ほか
【あらすじ】
他人を呼ぶ能力をうまれつき欠如していると自認するヒロインが、大学生時代の友人の結婚式に呼ばれ、披露宴の幹事とスピーチを依頼される。が、当日は会社の上司の父親が死んだということで急遽葬式に呼ばれることになり、電話を遣って結婚式のスピーチもこなそうとするのだが……。
【感想】
はっきり言って、あらすじも思い出せないほどの駄作。この作品は再放送らしいが、おそらくその理由は貫地谷しほり・山中崇というビッグネームがキャストだから、の一点に尽きると思う。ちなみに山中は、『相棒』の芹沢の山中ではなく、JTの人、あるいは『ごちそうさん』に出ていた書生だか作家だかのやつ。キャラ芝居を押し進めるだけの糞っ下手という印象は概ね外れてはいまい。本作品でもその演技がいかんなく発揮されていた。
話のテーマが、人を呼ぶというのは能力でもなんでもなく努力があってこそで、人に囲まれている人間は努力しているんだよ、みたいな(もしそれが本当に作品の最重要テーマなのだとしたら)ほんとにどーでもいい内容で、「だからどうしたんだよ」の一言で批判は終ってしまう。
山中のキャラ芝居については既述したが、貫地谷のほうも、「うーん?」と首を捻らざるをえない。この人も、ややキャラ芝居の気味があるんだよなあ。たとえば『八重の桜』などでは「そこで呼吸をしている感じのする」非常に印象的でいい芝居をしていたのだが、反面、『ちりとてちん』のようないかにも「不器用な女の子」を演じるときには、中身の薄いマンガ的な表現にとどまっているように見受けられる。どっちなんだ、この人の実力は?

7/11 『弾け!はじけろ!そろばん甲子園』

【出演者】
朝倉あき・奈緒ほか
【あらすじ】
珠算部に属する女子高生ふたりと男子高校生ひとりの三人組が一所懸命に練習して全国大会を目指す!
【感想】
単純。であるからといってつまらないというわけでなく、ラジオドラマってこういうのでもいいじゃんと思える作品だった。福岡放送局制作のようで、登場人物たちはみな博多弁(?)というのも、生徒たちの活き活きとした感じの表現を後押ししていた。また、珠算という僕には馴染みのすくない分野でも、アツい青春模様があるということが知れたのもよかった。

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ラジオドラマ版の椎名誠『わしらは怪しい探検隊』(ニコニコ動画)を聴いた。

椎名誠といえば、テレビCFで馬に乗ってジーンズを旗代わりにたなびかせていた人だ。エドウィンのCFだっけ?
僕自身は「ちょっとむかしの人」という印象を持っていた。たぶん世代がちょっとズレているのだろう。「直撃」した人は心酔したのかもしれない。作家なんだけれどよくテレビに出てくる人、というイメージもおぼろげながらある。

上記リンクは、ラジオドラマというよりは、ラジオエッセイといた風情があるが、最後まで聴いてみるとやはりドラマになっている。
出演は草野大吾という人(知らなかった)ひとりだけ。その彼が、椎名のものと思われる独特な文体を非常に上手に朗読し、そのときどきの登場人物をコミカルに演じ分ける。音響や音楽も軽快で、ものすごくテンポがよい。
この「文体」であるが、去年の宮沢章夫がEテレでやっていた『戦後ニッポンサブカルチャー史』で「昭和軽薄体」と紹介されていた。「ああ、あれね」という人も多いかもしれない。
僕はその名称こそ知らなかったけれども、聴いて「おお、なんだか懐かしい気がするぞ」と感じた。「気」はあくまでも「気」であって、リアルタイムでそれらを読みふけったというような事実はいっさいないのだ。ただ、どこかで目にしているのだろうとは思う。

この文体を、どう評価するか。
リアルタイムで椎名のエッセイに触れていた人たちのなかでも、「うーん、やっぱりいいねえ」という人もいれば、「いま読むと(聴くと)、ちょっと古くさいな」という人もいるように思う。
僕からすると、「いままた新しいのかも」という感触があるが、ただ、こういうものがより新しい世代にマネされる場合は、えてして薄まったコピーになりがちであろうから、ヘンに影響は受けないほうがよいと思われる。
また、簡単に面白く読めてしまうけれど、そのわりには情報量・形容表現が多く、書く側としては決して簡単ではないということはわかるし、「軽薄」とあるが、少なくとも椎名誠の言語感覚はものすごい、ということは『武装島田倉庫』を読んで知っていた。

なお、このドラマに出てくるキャンプに対する愛着も、やはり僕にとっては時代を感じさせるものになっている。
アウトドア愛好者たちの現代のトレンドというものを僕はまったく知らないのだが、けれども、「山ガール」や「森ガール」たちが新しい原動力となりつつある斯界とは趣きを異にしていると思われる。
男たちが、カネをかけずに、素人流儀まるだしで野外生活をたのしむことが、時間が経ってみればそれもやはりひとつの流行だった(アマゾンにそのようなレビューがあった)ということも、その経過した時間がかなりのものとなっている現在からすれば、愛おしくさえある。

断り書きをしておけば、これはちょっと変則的なたのしみ方で、あまり上等ではないだろう。というのは、僕は同時代的感覚というものを尊重したく思っており、その時代の感覚や空気というものをまったく知らない人間が、「なんかこれ、カッコイイじゃん」みたいな即断をすることを「カッコ悪いじゃん」と思っているから。

いづれにせよ、このドラマは傑作である。
特に終盤のベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』はずるい! (いい意味で) 

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ラジオドラマ版『つむじ風食堂の夜』(ニコニコ動画)を聴いた。
原作の小説は2005年のものらしいが……「月舟町」にある「つむじ風食堂」に集まるのは、主人公の「雨降り先生」のほか、売れない女役者、帽子屋、八百屋などだが、主人公の仕事が、「雨を降らせる文献の蒐集および研究(?)」だったり、その父親が「手品師」だったりと、なんかもう「不思議ちゃんの寝言」の大安売りで、すぐにげんなりしてしまった。

あくまでラジオドラマは小説とは別物(であろう)とした上で書くのだが、宮沢賢治の上澄み部分に、村上春樹や江國香織の上澄み部分を混ぜあわせて、さらに水増ししたような芯・手応えのなさ。
登場する固有名詞・装置・属性などのほとんどがイメージ先行で、かといってそれほどの詩情も感じられなかった。既視感が払拭できないのだ。

これを聴いた人の一部は、わりと簡単に「ほっこり」しちゃうんだろうが、こちとら、安易にほっこりなんかしたくないのである。「どこにでもありそうな、けれどもどこにもない町の食堂に集まる、ちょっと風変わりな人たちのハートウォーミングな物語」なんか知ったこっちゃない。

どうでもいいけれど、アマゾンに「タイトルに食堂がついているから読もうと思った」みたいなことが書かれてあって、たしかに本のカテゴリーだけでも題名に「食堂」が入っている小説・マンガがたくさん出てくる。
もしかしたらこの作品こそが、こういう「食堂ブーム」の走りなのかもしれないが、とりあえず僕は「食堂もの」は読みたくない。 

あとさ、主人公はあまり金がないはずなのに、夕食は毎日くだんの食堂で済ませるという、この設定じたいに違和感を覚えた。ふつう自炊するだろ。こういう設定なんかにも、著者のゆるふわ感が見え隠れするんだよなあ。現実味も詩情もない、頭ゆるふわ感だけが。 

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仕事のとき、最近はラジオのほかに、ラジオドラマの音源をウォークマンで聴くことが多い。
YouTube上にはFMシアターというNHK FMの番組音源をいくつか見つけることができる。それらをいくつか見繕って、三日間ほどで都合十数本(なかには「FMシアター」ではないものもある)を聴いてみたのだが玉石混淆であった。
村上春樹、川上弘美の原作のもの(それぞれ『かえるくん、東京を救う』『神様』)については、肌が合わなすぎるのか、身体に蕁麻疹ができるのを必死で我慢するようにして聴いた。いちおう、文句を言うために終まいまでは聴いたが、この二作についてはラジオドラマとしての作品レベルに達していないような気がした。あまりにもエンターテインメント性に欠けるように感じられたのだ。
たとえば『かえる~』では「かえるくん」と名乗る巨大なカエルが主人公の前にあらわれるのだが、この寓話においてそのカエルは自身を「暗喩とか引用とか脱構築とかサンプリングとか、そういうややこしいものではありません」と説明する。ここらへんが、非常にあざとくいやらしいと思う。
子ども向けというかファンタジー的であるのに、その一方では上のような文章を小出しして、「ハイいらはい、いらはい。大人でもたのしめるエスプリ言うもんもきっちり効かせてまっせ!」というメッセージを感じてしまう。あるいは、「書いているボクはけっしてバカではないよ」というエクスキューズのような。
このやり方が、実は『神様』にも見られる。死んだおじさんが数ヶ月ごとにヒロインの家を訪ねてくるのだが、このおじさんが、「ハワイが発見される約100年前にニュートンによって運動の法則と万有引力が発見され、さらにその50年前、デカルトによって運動量の保存が唱えられた。秩序がないと思わんか?」と宣う。
こういうところ、好きな人にはたまらんのだろうけれど、僕にはつらすぎてつらすぎて、二十回ほど悶絶しそうになったところを、腿に鋏をぶっ立てて必死に堪えたのだ。
この『神様』(たしか原作は読んでいないよな、と読書記録を調べてみるとなんと十数年前に読んでいた!)では、はじめにクマとデートをして、デートの終りに抱擁する場面がある。ここで「クマのにおいがした」というヒロインの独白があるのだが、僕にはこの部分から実際のクマの臭いを想像することはできなかった。動物園でクマ舎のそばに行って嗅げる獣臭とはまた別の、作者の机の上にしか存在しないきわめてイージーな香りに、僕の心はまったく動かなかったということだ。
僕が上で「エンターテインメント性に欠ける」と書いたのはつまり、こういう独りよがりに感じられる部分があまりにも多すぎるからだった。

その点、きちんとした作品もある。ストーリーそのものに大感動するということはないのだが、なるほどよくできているなあ、ラジオドラマってこういう構成でつくっていくものなんだなあと勉強になる部分が多い。
別のときに書くことがあるかもしれないが、意外にも川端康成の『伊豆の踊子』がよかった。これもおそらくは二十歳前後で読んだことがあると思うのだが、内容はすっかり憶えておらず、かなり新鮮な気持ちで聴くことができ、主人公の学生が決して貧しい存在ではなく(もっと貧しい人たちがいる)、旅芸人ら年上の人間に「旦那」とか「ぼっちゃん」とか言われていいご身分だな、そもそもこの時代の文学ってどうもこういうところが鼻について好かんよなと意識されるものの、それでも当時の風俗が少し理解できたり、また、なんということもないストーリーを聞き終え、どこか感傷的になってしまったのも不思議だった。前述した二作などに較べれば、作者川端の視点の無遠慮さも含め、ここには「ほんとうらしさ」、言い換えれば「呼吸している部分」が感じられたのだろう。

それとは別に、ここには北野勇作脚本の『勤務時間内戦争』を貼り付けておく。
平田満と國村隼が出演している。特に國村は、いまの彼のイメージとは少し違う、おどけた甲高い人物を演じていて、それだけでも一聴の価値あり。
兵器会社に勤める営業二課の課長(平田)は、技術部部長にある業務を遂行するよう命令される。自動機械型戦闘ロボットがコントロールできなくなったので、社内では評価の低い営業部員を率いて、戦闘行動によってそれらを破壊せよというのだ。
この近未来社会では、「あれ」がいつのまにか「軍」に名称を変えてしまった、というセリフがでてくる。思わずドキッとした。そのあとにつづく、「いつもそうだ、変わる前にはあれこれと大騒ぎしたくせに、変わるといつのまにか慣れちまうんだ」というセリフは、タイムリーすぎる。
映像にしたらものすごく金がかかって(かかったわりにはちゃちくなること請け合い!)仕方がないだろうに、ラジオドラマであれば音響と俳優の演技だけで済んでしまうのだから、それだけでも面白い。
主人公の平田満はこういうサラリーマンの中間管理職がぴったり。 

【追記】
なぜだかこのシリーズの音源は、著作権への抵触を怖れているのか音響部分を不自然にカットしている部分も多く、上掲動画もエンディング部分に無音がつづいてしまってもったいない。
ニコニコ動画にはきちんと音がある音源がアップされている(http://www.nicovideo.jp/watch/sm914595)ので、そちらにアクセスしてもよいかもしれない。 

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